流星と昴の日本神話
速の章

速玉之男

(つば)の神・速玉之男(ハヤタマノオ)は「神の(つば)=流星」。対で登場する(ははき)の神・泉津事解之男(ヨモツコトサカノオ)は「掃星(ははきぼし)=彗星」。

 

(つば)の神

速玉之男(ハヤタマノオ)ハヤタマノオ)は『日本書紀』神代上第五段一書第十に登場する「(つば)の神」である。

伊奘諾(イザナキ)尊は亡くなった妻の伊奘冉(イザナミ)尊に会うため黄泉(よもつくに)へ行き、その後、黄泉(よもつくに)から帰る際に「(つば)の神」を速玉之男(ハヤタマノオ)、「(ははき)の神」を泉津事解之男(ヨモツコトサカノオ)と名付けている。

 

(原文)

乃所唾之神、号曰速玉之男。次掃之神、号泉津事解之男。凡二神矣。

(書き下し文)

(すなは)(つは)きたまへる神、(なづ)けて速玉之男(はやたまのを)(まを)す。次に(はら)ひたまへる神を、泉津事解之男(よもつことさかのを)(まを)す。(すべ)二神(ふたはしらのかみ)なり。

(現代語訳)

誓約のために(つば)を吐かれた時に生じた神を、名付けて速玉之男(はやたまのお)と申す。次に黄泉(よみ)との関わりを断つために(はら)われた時に生じた神を泉津事解之男(よもつことさかのお)と申す。合せて二柱の神である。

《出典》小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守校注/訳『新編日本古典文学全集2 日本書紀1』(小学館、一九九四年、五六~五七頁)

 

(つば)の神」と簡略化して述べているが、前述のように原文は「所唾之神」である。伊奘諾(イザナキ)尊が吐いた(つば)から速玉之男(ハヤタマノオ)が生じたと解釈できる。

 

(ははき)の神

(ははき)の神」の原文は「掃之神」だが、この「掃」の字は一般的には「()く」「(はら)う」といった動詞として解釈されている。

例えば、『新編日本古典文学全集2 日本書紀1』では前述のように「掃之神」を「(はら)ひたまへる神」と書き下している。

坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋(おおのすすむ)校注『日本古典文学大系67 日本書紀 上』(岩波書店、一九六七年、一〇〇頁)では「掃之神」を「(はら)ふ神」と書き下している。

宇治谷孟(うじたにつとむ)訳『日本書紀(上) 全現代語訳』(講談社、一九八八年、三二頁)では「掃之神」を「掃きはらって生まれた神」と現代語訳している。

しかし『古事記』に「掃持(ははきもち)」と使われている例があるように、「掃」は名詞の「ははき」つまり「ほうき」(『時代別国語大辞典 上代編』三省堂)の意で使われることがある。

 

(原文)

於是、在天、天若日子之父天津国玉神及其妻子、聞而、降来、哭悲、乃於其処喪屋而、河雁為岐佐理持、自岐下三字以音。鷺為掃持

(書き下し文)

(ここ)に、天に()る、天若日子が父天津国玉神(あまつくにたまのかみ)と其の妻子(めこ)と、聞きて、(くだ)()て、()(かな)しびて、(すなは)其処(そこ)喪屋(もや)を作りて、河雁(かはかり)をきさり(もち)()(さぎ)掃持(ははきもち)()

(現代語訳)

これを、天にいる天若日子の父、天津国玉神(あまつくにたまのかみ)と、天若日子の妻子とが聞いて、葦原中国(あしはらのなかつくに)(くだ)って来て、泣き悲しんで、ただちにそこに喪屋(もや)を作り、河雁(かわかり)をきさり持ちとし、(さぎ)(ははき)持ちとし、

《出典》山口佳紀・神野志隆光校注/訳『新編日本古典文学全集1 古事記』(小学館、一九九七年、一〇二~一〇四頁)

 

『万葉集』にも「玉掃(たまばはき)」(キク科の落葉小低木コウヤボウキの古名。(ほうき)の材料とされた)を詠んだ次のような歌がある(巻第十六、三八三〇番歌)。

 

(原文)

玉掃鎌天木香棗
玉掃 苅来鎌麻呂 室乃樹 与棗本 可吉将掃為

(書き下し文)

玉箒(たまばはき)(かま)天木香(むろのき)(なつめ)を詠む歌
玉箒 ()()鎌麻呂(かままろ) むろの木と 棗が(もと)と かき()かむため

(現代語訳)

玉箒(たまぼうき)(かま)天木香(むろのき)(なつめ)を詠んだ歌
玉箒を 早く刈って来い鎌麻呂(かままろ)よ むろの木と 棗の木の(もと)を 掃除(そうじ)するために

《出典》小島憲之・木下正俊・東野治之校注/訳『新編日本古典文学全集9 萬葉集4』(小学館、一九九六年、一一四頁)

 

このため「掃之神」はそのまま「(ははき)の神」と解釈するのが自然である。

 

(つば)の神」と「(ははき)の神」の意味

(つば)の神」と「(ははき)の神」というのは、いずれも奇妙な神であり、対で登場しているにも関わらず関連が無い様にも思える。

そのままでは意味不明のように思えるためか、『新編日本古典文学全集2 日本書紀1』では前述したように「誓約のために(つば)を吐かれた時に生じた神」「黄泉(よみ)との関わりを断つために(はら)われた時に生じた神」と現代語訳しているが、そのようなことは原文には書かれていない。

これについては「(つば)」と「(ははき)」を「見立て」として解釈すれば二神の関連性が見えてくる。

まず「(つば)の神」とは、流星を神の吐いた(つば)に見立てたもので、流星の神の意と考えられる。

そして「(ははき)の神」とは、彗星を(ははき)(ほうき)に見立てたもので、彗星の神の意と考えられる。彗星は掃星(ははきぼし)とも言う。

流星の神と彗星の神であるため、共に「尾を持つ星」の神という関連性が見えてくる。

そして「(つば)の神=流星の神」速玉之男(ハヤタマノオ)の神名に「速」が付き、「(ははき)の神=彗星の神」泉津事解之男(ヨモツコトサカノオ)の神名に「速」が付かないのは、流星は速く、彗星は速くはないためと考えられる。

 

各文献における名前

『日本書紀』……速玉之男(ハヤタマノオ)

先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』……速玉之男(ハヤタマノオ)

 

神名解釈

神名の速玉之男(ハヤタマノオ)(ハヤタマノオ)を解釈すると、

 

(ハヤ)……そのまま「速い」の意。

(タマ)……【玉の章】で後述するように「星」を「玉」に見立てたもの。

オ……男神の神名末尾のパターン

 

これにより速玉之男(ハヤタマノオ)は「速い星の男神」と解釈できる。

 

まとめ

速玉之男(ハヤタマノオ)……流星の神

(つば)の神・速玉之男(ハヤタマノオ)は流星を神の(つば)に見立てたもので流星の神。対で登場する(ははき)の神・泉津事解之男(ヨモツコトサカノオ)は彗星(掃星(ははきぼし))を(ははき)に見立てたもので彗星の神。共に「尾を持つ星」の神。

(つば)の神=流星の神」速玉之男(ハヤタマノオ)の神名に「速」が付き、「(ははき)の神=彗星の神」泉津事解之男(ヨモツコトサカノオ)の神名に「速」が付かないのは、流星は速く、彗星は速くはないため。