流星と昴の日本神話
速の章

速玉之男

対で登場する「(つば)の神」速玉之男(ハヤタマノオ)は流星の神、「(ははき)の神」泉津事解之男(ヨモツコトサカノオ)は彗星(掃星(ははきぼし))の神。

 

(つば)の神」と「(ははき)の神」

速玉之男(ハヤタマノオ)ハヤタマノオ)は『日本書紀』神代上第五段一書第十に登場する「(つば)の神」である。伊奘諾(イザナキ)尊は亡くなった妻の伊奘冉(イザナミ)尊に会うため黄泉(よもつくに)へ行き、その後、黄泉(よもつくに)から帰る際に「(つば)の神」を速玉之男(ハヤタマノオ)、「(ははき)の神」を泉津事解之男(ヨモツコトサカノオ)と名付けている。

(つば)の神」と簡略化して述べたが、原文は「所唾之神」なので「(つは)(ところ)の神」つまり「(つば)として吐いた神」という意味であり、伊奘諾(イザナキ)尊が吐いた(つば)速玉之男(ハヤタマノオ)となったと解釈できる。

(ははき)の神」の原文は「掃之神」で、この「掃」の字は一般的には「()く」「(はら)う」といった動詞として解釈されている。しかし『古事記』に「掃持(ははきもち)」、『万葉集』に「玉掃(たまははき)」と使われている例があるように名詞の「ははき(ほうき)」の意味もあるので「(ははき)の神」と解釈するのが自然である。

 

(つば)の神」と「(ははき)の神」の意味

(つば)の神」と「(ははき)の神」というのは、いずれも奇妙な神であり、対で登場しているにも関わらず関連が無い様にも思える。これについては「見立て」として考えれば関連が見えてくる。

つまり「(つば)の神」は流星を天の神(伊奘諾(イザナキ)尊)が吐いた(つば)に見立てたもので流星の神の意、「(ははき)の神」は彗星(掃星(ははきぼし)とも言う)を(ははき)に見立てたもので彗星の神の意と考えられる。共に尾を持つ星の神ということになる。

そして「(つば)の神=流星の神」速玉之男(ハヤタマノオ)の神名に「速」が付き、「(ははき)の神=彗星の神」泉津事解之男(ヨモツコトサカノオ)の神名に「速」が付かないのは、流星は速く、彗星は速くはないためと考えられる。

 

各文献における名前

・『日本書紀』……速玉之男(ハヤタマノオ)

・『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』……速玉之男(ハヤタマノオ)

 

神名解釈

神名解釈については【玉の章/速玉之男】で後述する。

 

まとめ

・速玉之男(ハヤタマノオ)……流星の神

・「(つば)の神」速玉之男(ハヤタマノオ)は「(ははき)の神」泉津事解之男(ヨモツコトサカノオ)と共に名付けられている。

・「(つば)の神」は流星を天の神が吐いた(つば)に見立てたもので流星の神の意、「(ははき)の神」は彗星(掃星(ははきぼし))を(ははき)に見立てたもので彗星の神の意。共に尾を持つ星の神。

・「(つば)の神=流星の神」速玉之男(ハヤタマノオ)の神名に「速」が付き、「(ははき)の神=彗星の神」泉津事解之男(ヨモツコトサカノオ)の神名に「速」が付かないのは、流星は速く、彗星は速くはないため。

 

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