流星と昴の日本神話
櫛の章

天玉櫛彦命

三十二人の防衛(ふせぎまもり)の一柱で天降る神。玉櫛媛(タマクシヒメ)の夫・事代主(コトシロヌシ)神と同神。

 

三十二人の防衛(ふせぎまもり)の一柱

天玉櫛彦(アマノタマクシヒコ)命(アマノタマクシヒコ)は『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』天神本紀において間人連(はしひとのむらじ)らの祖とされる神である。【速の章/饒速日命】で前述した三十二人の防衛(ふせぎまもり)の一柱で天降る神である。

天降る神であるという点から、流星に由来する神である可能性がある。

また、古代氏族の系譜書である『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』(八一五年成立)においては、左京神別(しんべつ)中 天神 間人宿祢(はしひとのすくね)の条に「神魂(カミムスヒ)命の五世の孫、玉櫛比古(タマクシヒコ)命の後なり」と記されている。

『日本書紀』天武(てんむ)天皇十三年十二月の条に間人連(はしひとのむらじ)宿禰(すくね)(かばね)(たまわ)った旨が記されているので、間人連(はしひとのむらじ)間人宿祢(はしひとのすくね)天玉櫛彦(アマノタマクシヒコ)命=玉櫛比古(タマクシヒコ)命であることがわかる。

 

タマクシヒコと事代主(コトシロヌシ)

この「タマクシヒコ」という名は、事代主(コトシロヌシ)神の妻である玉櫛媛(タマクシヒメ)と男女の対となる名と言える。夫と妻、兄と妹、親と子、祖先と子孫などの近縁の神には似た名前が付けられることがあるので、タマクシヒコと玉櫛媛(タマクシヒメ)もこのような関係の可能性が高い。

そして玉櫛媛(タマクシヒメ)の夫である事代主(コトシロヌシ)神には、於天事代於虚事代玉籤入彦厳之事代(アメニコトシロソラニコトシロタマクシイリヒコイツノコトシロ)神(アメニコトシロソラニコトシロタマクシイリヒコイツノコトシロ)という別名があり(『日本書紀』神功(じんぐう)皇后摂政前紀に記されている)、この別名の中にタマクシヒコが含まれている。

つまりタマクシヒコと事代主(コトシロヌシ)神は同神と考えられる。

これにより、天玉櫛彦(アマノタマクシヒコ)命=玉櫛比古(タマクシヒコ)命=事代主(コトシロヌシ)神は天降る神ということになる。

 

「事代主神は、大国主神の子」ではなかった

事代主(コトシロヌシ)神は大己貴(オオアナムチ)神(大国主(オオクニヌシ)神)の子で、武甕槌(タケミカヅチ)神らに国を譲ることを迫られ承諾した神として『古事記』や『日本書紀』に登場している。このため、出雲の神、国津神(くにつかみ)であって天津神(あまつかみ)ではなく、天降る神とは考え難いと思われるかもしれない。

しかし、出雲国(いずものくに)編纂(へんさん)され、出雲の神話が語られている『出雲国風土記(いずものくにふどき)』には事代主(コトシロヌシ)神は登場しておらず、このため事代主(コトシロヌシ)神は元々は出雲の神ではなかったと考えられる。

また、事代主(コトシロヌシ)神の前述した別名、於天事代於虚事代玉籤入彦厳之事代(アメニコトシロソラニコトシロタマクシイリヒコイツノコトシロ)神には「(アメ)」と「(ソラ)」が含まれており、事代主(コトシロヌシ)神が天空に関連する神であることを示している。

新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』においても事代主(コトシロヌシ)神は次のように記されており、「天」が付く別名や、天神(天津神(あまつかみ))に分類されている後裔氏族の記述が多い。

 

・左京神別(しんべつ)中 天神 畝尾連(うねおのむらじ)……天辞代(アマノコトシロ)命の子、国辞代(クニノコトシロ)命の後なり。

・右京神別(しんべつ)下 天神 伊与部(いよべ)……高媚牟須比(タカミムスヒ)命の三世の孫、天辞代主(アマノコトシロヌシ)命の後なり。

大和国(やまとのくに)神別(しんべつ) 天神 飛鳥直(あすかのあたい)……天事代主(アマノコトシロヌシ)命の後なり。

大和国(やまとのくに)神別(しんべつ) 地祇(ちぎ) 長柄首(ながらのおびと)……天乃八重事代主(アマノヤエコトシロヌシ)神の後なり。

和泉国(いずみのくに)神別(しんべつ) 地祇(ちぎ) 長公(ながのきみ)……大奈牟智(オオナムチ)神の児、積羽八重事代主(ツミハヤエコトシロヌシ)命の後なり。

 

これについて日本史学者の佐伯有清(さえきありきよ)は『新撰姓氏録の研究 考證篇 第三、第四』(吉川弘文館、一九八二年)で天神のコトシロヌシ(天辞代(アマノコトシロ)命、天辞代主(アマノコトシロヌシ)命、天事代主(アマノコトシロヌシ)命)と地祇(ちぎ)のコトシロヌシ(天乃八重事代主(アマノヤエコトシロヌシ)神、積羽八重事代主(ツミハヤエコトシロヌシ)命)は別神と主張している。また、その根拠を「事代主神は、大国主神の子と伝えられているので別神」としている。

しかし、天乃八重事代主(アマノヤエコトシロヌシ)神は地祇(ちぎ)に分類されているが神名には「天」が付いており、天神と地祇(ちぎ)の中間的状態と考えられる。このように天神のコトシロヌシと地祇(ちぎ)のコトシロヌシは明確に二分されているわけではなく、別神と考えるのは無理があることがわかる。

事代主(コトシロヌシ)神が『出雲国風土記(いずものくにふどき)』に登場していないことから見ても「事代主神は、大国主神の子」という前提自体を疑うべきである。

つまり、事代主(コトシロヌシ)神は元々は大己貴(オオアナムチ)神(大国主(オオクニヌシ)神)の子でも出雲の神でもなく、天降る神であったが、神話が改変されて大己貴(オオアナムチ)神(大国主(オオクニヌシ)神)の子、出雲の神、地祇(ちぎ)国津神(くにつかみ))とされたと推定できる。

 

各文献における名前

・『古事記』……事代主(コトシロヌシ)神、八重言代主(ヤエコトシロヌシ)神、八重事代主(ヤエコトシロヌシ)

・『日本書紀』……事代主(コトシロヌシ)神、事代主(コトシロヌシ)於天事代於虚事代玉籤入彦厳之事代(アメニコトシロソラニコトシロタマクシイリヒコイツノコトシロ)神、事代主(コトシロヌシ)

・『古語拾遺(こごしゅうい)』……事代主(コトシロヌシ)

・『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』……天辞代(アマノコトシロ)命、玉櫛比古(タマクシヒコ)命、天辞代主(アマノコトシロヌシ)命、天事代主(アマノコトシロヌシ)命、天乃八重事代主(アマノヤエコトシロヌシ)神、積羽八重事代主(ツミハヤエコトシロヌシ)

・『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』……天玉櫛彦(アマノタマクシヒコ)命、事代主(コトシロヌシ)神、八重事代主(ヤエコトシロヌシ)神、都味歯八重事代主(ツミハヤエコトシロヌシ)

・「出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)」……事代主(コトシロヌシ)

 

神名解釈

神名解釈については【玉の章/天玉櫛彦命】で後述する。

 

まとめ

・天玉櫛彦命(アマノタマクシヒコ)……天降る神

【速の章/饒速日命】で前述した三十二人の防衛(ふせぎまもり)の一柱で天降る神。

事代主(コトシロヌシ)神と同神。事代主(コトシロヌシ)神はタマクシヒメの夫でタマクシヒコを含む別名を持つ。

事代主(コトシロヌシ)神は『出雲国風土記(いずものくにふどき)』には登場しない。

事代主(コトシロヌシ)神には「天」が付く別名や天神に分類されている後裔氏族が多い。

・つまり元々は天降る神だが、出雲の神、地祇(ちぎ)に神話が改変されたと推定できる。

 

関連ページ

【櫛の章/玉櫛媛】……事代主(コトシロヌシ)神の妻とも大物主(オオモノヌシ)神の妻ともされる。

【玉の章/天玉櫛彦命】……天玉櫛彦命の神名解釈。