流星と昴の日本神話
櫛の章

倭大物主櫛𤭖玉命

大物主(オオモノヌシ)神の別名。海を照らし突然近づいて来る、眼が輝く蛇の姿を持ち、雷鳴を発する火球の神。

 

大物主(オオモノヌシ)神の別名

倭大物主櫛𤭖玉(ヤマトノオオモノヌシクシミカタマ)命(ヤマトノオオモノヌシクシミカタマ)は大物主(オオモノヌシ)神の別名である。『延喜式(えんぎしき)』(九二七年成立)の巻第八に収録されている祝詞(のりと)出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)」に記されている名である。

大物主(オオモノヌシ)神は奈良の三輪(みわ)山(美和(みわ)山、三諸(みもろ)山、御諸(みもろ)山、三諸(みもろ)岳)の神であり、大三輪(オオミワ)之神とも言う。大和国一宮(やまとのくにいちのみや)とされる大神(おおみわ)神社(奈良県桜井市三輪(さくらいしみわ)1422)などで(まつ)られている。また、甘茂君(かものきみ)賀茂朝臣(かものあそみ))や大三輪君(おおみわのきみ)らの祖とされる。

 

大物主(オオモノヌシ)神と大己貴(オオアナムチ)

大物主(オオモノヌシ)神が大己貴(オオアナムチ)神の前に出現した際の姿は、『古事記』や『日本書紀』神代上第八段一書第六において次のように描写されている。

 

山口佳紀(やまぐちよしのり)神野志隆光(こうのしたかみつ)校注/訳『新編日本古典文学全集1 古事記』(小学館、一九九七年、九四~九五頁)

是時、有海依来之神

この時、海面を光り輝かせて近づいて来る神がいた。

 

・小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守校注/訳『新編日本古典文学全集2 日本書紀1』(小学館、一九九四年、一〇四頁)

時神光照海、忽然有浮来者

その時、(あや)しい光が海を照らし、忽然(こつぜん)と浮んで来る者があった。

 

つまり、海を照らし突然浮かびながら近づいて来る神とされている。

 

大物主(オオモノヌシ)神と倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)

また、『日本書紀』崇神(すじん)天皇十年九月の条によると、孝霊(こうれい)天皇の娘である倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)命は大物主(オオモノヌシ)神の妻となる。しかし、大物主(オオモノヌシ)神は夜にだけやって来て顔を見ることができなかったので、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)命は大物主(オオモノヌシ)神に朝まで留まって欲しいと願う。

大物主(オオモノヌシ)神はこれを了承し、朝には櫛笥(くしげ)(櫛などの化粧道具を入れる箱)に入っているので自分の姿に驚かないようにと言うが、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)命が朝に櫛笥(くしげ)を見ると美しい小蛇が入っていたので驚いて叫んでしまう。

これに恥辱を感じた大物主(オオモノヌシ)神は人の形に化した後、大虚(おおぞら)()んで御諸(みもろ)山に還ってしまい、後悔した倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)命は箸で(ほと)を突いて死んでしまう。

この「大虚(おおぞら)()む」という描写については、小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守校注/訳『新編日本古典文学全集2 日本書紀1』(小学館、一九九四年)の注釈(二八三頁)において「天空を践むとは雷神の表象」とある。

つまり、雷鳴を「神が天空を踏み、とどろかせた足音」に見立てた描写と解釈されており、妥当な解釈と考えている。同様の描写の例としては次のような歌もある。

 

・『万葉集』巻第十九、四二三五番歌

天雲(あまくも)を ほろに()みあだし 鳴る神も 今日(けふ)にまさりて (かしこ)けめやも

・『古今和歌集』巻第十四、恋歌四、七〇一番歌

(あま)(はら) 踏みとどろかし 鳴る神も 思ふなかをば さくるものかは

 

大物主(オオモノヌシ)神と雄略(ゆうりゃく)天皇

『日本書紀』雄略(ゆうりゃく)天皇七年七月の条によれば、雄略(ゆうりゃく)天皇が三諸(みもろ)岳の神の形を見たいと言い、少子部連蜾蠃(ちいさこべのむらじすがる)に捕らえに行かせた。すると雷鳴を発し眼が輝く大蛇(おろち)を捕まえてきたので、畏れてその大蛇(おろち)三諸(みもろ)岳に放させたという。

この話における三諸(みもろ)岳の神は、大物主(オオモノヌシ)神であるとも菟田(うだ)の墨坂神であるともいわれている旨が記されている。しかし、蛇の姿を持ち雷鳴を発する三諸(みもろ)岳(御諸(みもろ)山)の神という点において倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)命の話と共通しているので、これも大物主(オオモノヌシ)神の話と考えられる。

 

火球の神

これらの話から大物主(オオモノヌシ)神は、海を照らし突然浮かびながら近づいて来る、眼が輝く蛇の姿を持ち、雷鳴を発する神ということになるが、これは火球の描写と考えられる。

海を照らし突然浮かびながら近づいて来る姿はそのまま海上を飛来する火球であり、眼が輝く蛇の姿は光り輝き尾を引く火球を見立てたもの、雷鳴を発するのは火球が雷鳴のような衝撃音を発生させることがあるためと考えられる。

つまり大物主(オオモノヌシ)神は流星(火球)の神ということになる。

 

各文献における名前

・『古事記』……坐御諸山上神(ミモロヤマノウエニイマスカミ)大物主(オオモノヌシ)神、大物主(オオモノヌシ)大神、意富美和(オオミワ)之大神

・『日本書紀』……大物主(オオモノヌシ)神、大三輪(オオミワ)之神、大物主(オオモノヌシ)大神、於朋望能農之(オオモノヌシ)大三輪(オオミワ)

・『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』……八戸挂須御諸(ヤトカケスミモロ)命、大物主葦原志許(オオモノヌシアシハラシコ)

・『土佐国風土記(とさのくにふどき)逸文(いつぶん)……大神

・『筑前国風土記(ちくぜんのくにふどき)逸文(いつぶん)……大三輪(オオミワ)

・『古語拾遺(こごしゅうい)』……大物主(オオモノヌシ)

・『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』……大物主(オオモノヌシ)命、大物主(オオモノヌシ)

・『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』……大物主(オオモノヌシ)

・「出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)」……倭大物主櫛𤭖玉(ヤマトノオオモノヌシクシミカタマ)

 

大物主(オオモノヌシ)神は『古事記』では大国主(オオクニヌシ)神とは別の神とされているが、『日本書紀』『古語拾遺(こごしゅうい)』『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』などでは大国主(オオクニヌシ)神(大己貴(オオアナムチ)神)の別名とされ、同一視されている。

ただし『日本書紀』においても、大己貴(オオアナムチ)神の前に大物主(オオモノヌシ)神が現れたり、大己貴(オオアナムチ)神が現世を去った後、大物主(オオモノヌシ)神が代わりに国津神を率いたりするなど、実際には別の神として登場している。

ここでは大国主(オオクニヌシ)神や(大物主(オオモノヌシ)神以外の)大国主(オオクニヌシ)神の別名については挙げていない。

 

神名解釈

神名の倭大物主櫛𤭖玉(ヤマトノオオモノヌシクシミカタマ)命(ヤマトノオオモノヌシクシミカタマ)を解釈すると、神名中の「ヌシ」は神名末尾のパターンと考えられるので、「倭大物主(ヤマトノオオモノヌシ)」と「櫛𤭖玉(クシミカタマ)命」の二つの神名が連結されていると考えられる。

 

・「(ヤマト)」は地名の「大和(やまと)」。

・「(オオ)」はそのまま「大いなる」の意。

・「(モノ)」は「超自然的存在たる神・精霊・妖怪などの類」(『古語大辞典』小学館、一九八三年)の意。

・「ヌシ」は神名末尾のパターン。

・「(クシ)」は本章冒頭で述べたように「流星」を「櫛」に見立てたもの。

・「ミカ」は【甕の章】で後述するように「流星」を「(みか)」に見立てたもの。

・「(タマ)」は【玉の章】で後述するように「星」を「玉」に見立てたもの。

 

これにより「大和(やまと)の大いなる神、流星の神」と解釈できる。

 

まとめ

・倭大物主櫛𤭖玉命(ヤマトノオオモノヌシクシミカタマ)……流星の神

大物主(オオモノヌシ)神の別名。

・海を照らし突然浮かびながら近づいて来る、眼が輝く蛇の姿を持ち、雷鳴を発する神。これは海上を飛来する火球、光り輝き尾を引く火球、火球の衝撃音を意味する。

 

関連ページ

【櫛の章/玉櫛媛】……事代主(コトシロヌシ)神の妻。『古事記』では勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)と言い、大物主(オオモノヌシ)神の妻。

【玉の章/活玉依媛】……大物主(オオモノヌシ)神の妻。

【火の章/肥長比売】……大物主(オオモノヌシ)神と同じく海を照らし蛇の姿を持つ。

【火の章/三穂津姫】……大物主(オオモノヌシ)神の妻。

【火の章/豊御富】……大物主(オオモノヌシ)神と同じく光って尾がある神。

【火の章/火雷】……大物主(オオモノヌシ)神と同じく丹塗矢(にぬりや)神話を持つ雷神。

【石の章/補足 火瓊瓊杵尊の降臨地名の意味】……大神(おおみわ)神社の摂社(せっしゃ)神坐日向(みわにますひむかい)神社や、同じく摂社(せっしゃ)高宮(こうのみや)神社が(まつ)日向御子(ヒムカイノミコ)神の「日向(ひむかい)」の意味。