三穂津姫
高皇産霊尊の娘。流星の神・大物主神の妻となり、天降った神。
高皇産霊尊の娘、大物主神の妻
三穂津姫(ミホツヒメ)は高皇産霊尊の娘で、【櫛の章/倭大物主櫛みか玉命】で前述した流星の神・大物主神の妻である。
丹波国一宮とされる出雲大神宮(京都府亀岡市千歳町出雲無番地)や村屋坐弥冨都比売神社(奈良県磯城郡田原本町蔵堂426)などで祀られている。
『日本書紀』神代下第九段一書第二の記述によれば、経津主神・武甕槌神による葦原中国の平定によって大己貴神は国を明け渡して現世を去り、帰順した大物主神・事代主神は国津神たちを統率して天に昇る。
高皇産霊尊は娘の三穂津姫を大物主神の妻とし、国津神たちを率いて皇孫を護るよう大物主神に命じて地上へ還り降らせたと言う。
つまり三穂津姫は天降る神である。
天降る神であるという点から、流星に由来する神である可能性がある。
各文献における名前
・『日本書紀』……三穂津姫、村屋神
・『先代旧事本紀』……三穂津姫命
「美保の女神」ではない
三穂津姫の「ミホ」は出雲国島根郡美保郷の「美保」と関連があると解釈されて、現在ではこの地にある美保神社(島根県松江市美保関町美保関608)に事代主神と共に祀られている。
しかし大物主神は奈良の三輪山の神であり、『出雲国風土記』にも登場していないので、その妻の三穂津姫と出雲の美保郷に本来関連は無いと考えられる。
『出雲国風土記』島根郡美保郷の条においては御穂須々美命という神がこの地にいて美保の地名の由来とされている。しかし御穂須々美命は天の下造らしし大神(大己貴神)と高志国(現在の北陸地方)の奴奈宜波比売命の子であり、高皇産霊尊の娘である三穂津姫とは別の神である。
神名解釈
三穂津姫は前述したように流星の神・大物主神の妻であり、三穂津姫自身も天降る神である。
このため、神名中の「ホ」は本章冒頭で述べたように「星」を「火」に見立てたもの、「ミホ」は「水火」つまり「水のような星(水のように流れる星)」である流星の意と考えられる。
「ツ」は古語で「〜の」を意味する格助詞、「ヒメ」は女神の神名末尾のパターンと考えられるので、三穂津姫(ミホツヒメ)は「水のような星(水のように流れる星)の女神」「流星の女神」と解釈できる。
なお、神名中の「ミホ」が流星の意と考えられる他の例としては、【火の章/豊御富】で後述する豊御富(別名、井光、水光姫など)がある。
御穂須々美命
御穂須々美命の神名についても解釈しておく。
『出雲国風土記』意宇郡の条によれば、以前は出雲国の国土が狭かったため、八束水臣津野命が他の国々から余っている国土を引いてきて広げたという。
三穂(美保)の埼については、高志の都都の三埼から引いてきたとされ、この「高志の都都の三埼」は石川県の能登半島先端にある珠洲に比定されている。
この国引き神話から美保と珠洲の二つの地には移住などの交流があったと考えられる。
つまり御穂須々美命(ミホススミ)の「ミホ」と「スス」は「美保」と「珠洲」、末尾の「ミ」は神名末尾のパターンと考えられるので、「美保と珠洲の神」と解釈できる。
『出雲国風土記』では美保の地名は御穂須々美命の神名に由来するとされているが、実際はその逆ということになる。なお、御穂須々美命は石川県珠洲市の須須神社にも祀られている。
隕石
余談だが、一九九二年には美保関町に美保関隕石が落下しており、続いて一九九五年には石川県に根上隕石が落下している。根上隕石は駐車していた自動車を直撃したが、その車種はスバル・レオーネであった。
ここ二百年における日本での隕石の落下・発見は、一八三七年の米納津隕石から二〇二〇年の習志野隕石まで四十九件(落下三九件、発見十件)の記録があり、約四年に一度の頻度である。
まとめ
・三穂津姫(ミホツヒメ)……流星の神の妻、天降る神
・【櫛の章/倭大物主櫛みか玉命】で前述した流星の神・大物主神の妻。
・天にいる高皇産霊尊の娘であり、大物主神の妻となって天降った神。
関連ページ
・【火の章/豊御富】……神名中の「ミホ」が流星の意と考えられる他の例。