流星と昴の日本神話
火の章

豊御富

井光(イヒカ)の別名。神武(じんむ)天皇が吉野で会った、光って尾がある神。つまり光り輝き尾を引く流星の神。

 

光って尾がある神

豊御富(トヨミホ)(トヨミ)とは井光(イヒカ)の別名であり、神武(じんむ)天皇が吉野で会った神とされる。

『古事記』神武(じんむ)天皇の段によれば、尾がある人が光のある井から出てきたので何者か尋ねたところ、国神(くにつかみ)井氷鹿(イヒカ)と名乗ったという。吉野首(よしののおびと)らの祖とされる。

『日本書紀』神武(じんむ)天皇即位前紀戊午年(つちのえうまのとし)八月の条によれば、光って尾がある人が井の中から出てきたので何者か尋ねたところ、国神(くにつかみ)井光(イヒカ)と名乗ったという。吉野首(よしののおびと)らの始祖(はじめのおや)とされる。

新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)大和国(やまとのくに)神別(しんべつ) 地祇(ちぎ) 吉野連(よしののむらじ)の条では、吉野連(よしののむらじ)加弥比加尼(カミヒカネ)の後裔であることが記されているが、それに加えて次のような話が書かれている。

 

神武(じんむ)天皇が吉野へ行幸し神瀬に到った。水を汲みに人を遣わすと、井に光る女がいるという。天皇がこの女を召して何者か尋ねたところ、天降った白雲別(シラクモワケ)神の娘で名は豊御富(トヨミホ)と答えた。天皇は水光姫(ミヒカヒメ)という名を与えた。今、吉野連(よしののむらじ)(まつ)るところの水光(ミヒカ)神である。

 

なお『日本書紀』天武(てんむ)天皇十二年十月の条に吉野首(よしののおびと)(むらじ)(かばね)(たまわ)った旨が記されているので、記紀の吉野首(よしののおびと)と『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』の吉野連(よしののむらじ)は同じ氏族であることがわかる。

 

「獣皮の尻当てをしている鉱夫」ではない

国語学者の西宮一民は、西宮一民校注『新潮日本古典集成 古事記』(新潮社、一九七九年)の「付録 神名の釈義」において、井氷鹿(イヒカ)について次のように述べている。

 

尾があるとは、鉱夫や樵夫(きこり)が獣皮の尻当てをしている姿を言い、光のある井戸とは水銀の坑口をさすか。吉野川上流の丹生(にう)川の「丹生」は水銀の朱砂(すさ)辰砂(しんさ))を産出することに基づく名。そのために赤く光るのである。

 

このような単独の神にしか適用できないような解釈は、こじつけに陥りやすく信憑性に欠ける。

【櫛の章/倭大物主櫛みか玉命】で前述した流星の神・大物主(オオモノヌシ)神や、【火の章/肥長比売】で前述した流星の神・肥長比売(ヒナガヒメ)のように、海を照らし蛇の姿を持つ神、つまり井光(イヒカ)と同じく光って尾がある神の例があるので、本書ではこれらの神においても同様に適用できる解釈を行う。

つまり、光って尾がある神という井光(イヒカ)の描写は、光り輝き尾を引く流星の神であることを意味していると考えられる。

 

各文献における名前

・『古事記』……井氷鹿(イヒカ)

・『日本書紀』……井光(イヒカ)

・『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』……加弥比加尼(カミヒカネ)豊御富(トヨミホ)水光姫(ミヒカヒメ)水光(ミヒカ)

・『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』……井光(イヒカ)

 

神名解釈

神名の豊御富(トヨミホ)(トヨミホ)を解釈すると、「トヨ」は古語で「ゆたかであるさま」(『角川古語大辞典』角川書店、一九八二~一九九九年)の意、「ミホ」は【火の章/三穂津姫】で前述したように「水火(ミホ)」つまり「水のように流れる星」である流星の意と考えられるので、「豊かな水のように流れる星」「豊かな流星」と解釈できる。

別名の水光姫(ミヒカヒメ)(ミヒカヒメ)の「水光(ミヒカ)」も同様に「水のように流れる光」である流星の意、「ヒメ」は女神の神名末尾のパターンと考えられるので、「水のように流れる光の女神」「流星の女神」と解釈できる。

水光(ミヒカ)神は「水のように流れる光の神」「流星の神」と解釈できる。

井光(イヒカ)井氷鹿(イヒカ)、イヒカ)という神名や、井から出てくるという話もまた、流星を天の井戸から湧出した「水のように流れる光」と見た神名・神話と考えられる。

 

天真名井(あまのまない)の意味

【速の章/補足 天照大神と素戔嗚尊の誓約の意味】で前述した天真名井(あまのまない)が、この流星を生み出す天の井戸と考えられる。

そしてこれは【速の章/補足 天岩戸、天安河の河上の意味】で前述した天岩戸と同じく流星を生み出す天の穴ということになるので、天岩戸と同じく(すばる)と考えられる。

ただし、天照(アマテラス)大神と素戔嗚(スサノオ)尊の誓約(うけい)の神話には複数の異伝があり、『日本書紀』神代上第六段一書第二では、天真名井(あまのまない)を三箇所掘る、という記述がある。このため(すばる)と「交合」して流星を生み出す「からすき星(オリオン座の三つ星の和名)」を天真名井(あまのまない)と見る考え方もあったと思われる。

天真名井(あまのまない)(あまのまない)の名前を解釈すると、「な」は古語で「〜の」を意味する格助詞と考えられるので、「天の間(隙間)の井」と解釈できる。

また、天真名井(あまのまない)は別名、天渟名井(あまのぬない)とも言う。

『日本書紀』神代上第四段本文において「天之瓊矛(あまのぬぼこ)」の分注として「瓊は玉なり。これを()という」とあるように「ぬ」は「玉」を意味し、「玉」は【玉の章】で前述したように「星」を「玉」に見立てたものと考えられるので、天渟名井(あまのぬない)(あまのぬない)は「天の星の井」と解釈できる。

 

まとめ

・豊御富(トヨミ)……流星の神

・光って尾がある神・井光(イヒカ)の別名。つまり光り輝き尾を引く流星の神。

豊御富(トヨミホ)のミホは「水火(ミホ)」つまり「水のように流れる星」、別名の水光姫(ミヒカヒメ)水光(ミヒカ)神の「水光(ミヒカ)」は「水のように流れる光」で共に流星の意。

井光(イヒカ)が出てくる井は、流星を生み出す天の井戸である天真名井(あまのまない)

 

関連ページ

【石の章/磐排別之子】……井光(イヒカ)と同じく神武(じんむ)天皇が吉野で会った尾がある神。