流星と昴の日本神話
石の章

磐排別之子

流星の神・井光(イヒカ)と同じく神武(じんむ)天皇が吉野で会った尾がある神、つまり井光(イヒカ)と同じく流星の神。

 

尾がある神

磐排別之子(イワオシワクノコ)イワオシワクノコ)は、【火の章/豊御富】で前述した井光(イヒカ)豊御富(トヨミホ))と同じく神武(じんむ)天皇が吉野で会った神である。

『古事記』神武(じんむ)天皇の段では、石押分之子(イワオシワクノコ)と名乗っており、(いわお)を押し分けて出てきた神、尾がある神、吉野の国巣(くず)の祖として登場する。

『日本書紀』神武(じんむ)天皇即位前紀戊午年(つちのえうまのとし)八月の条では、磐排別之子(イワオシワクノコ)と名乗っており、磐石(いわ)を押し分けて出てきた神、尾がある神、吉野の国樔(くず)らの始祖(はじめのおや)として登場する。

新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)大和国(やまとのくに)神別(しんべつ) 地祇(ちぎ) 国栖(くず)の条では、石穂押別(イワホオシワク)神を祖としており、神武(じんむ)天皇が吉野で会ったのは石穂押別(イワホオシワク)神の子としている。

 

磐排別之子(イワオシワクノコ)井光(イヒカ)

【火の章/豊御富】で前述したように、井光(イヒカ)は「光って尾がある神」という描写から、光り輝き尾を引く流星の神と考えられる。磐排別之子(イワオシワクノコ)井光(イヒカ)と同じく神武(じんむ)天皇が吉野で会った神で、同じく「尾がある神」という描写から、井光(イヒカ)と同じく流星の神と考えられる。

 

各文献における名前

・『古事記』……石押分之子(イワオシワクノコ)

・『日本書紀』……磐排別之子(イワオシワクノコ)

・『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』……石穂押別(イワホオシワク)神子

・『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』……磐排別之子(イワオシワクノコ)

 

神名解釈

神名の磐排別(イワオシワク)石押分(イワオシワク)、イワオシワク)は、『日本書紀』神武(じんむ)天皇即位前紀戊午年(つちのえうまのとし)八月の条に「排別、(これ)飫時和句(オシワク)()う」と分注が記されているため、「イワオシワ」ではなく「イワオシワ」と読まれている。

この神名を解釈すると、「イワ」は本章冒頭で述べたように「星」を「磐」に見立てたもの、「オシ」は【火の章/天忍穂耳尊】で前述したように古語の「大し(大きい)」の意、「ワク」は神名末尾のパターン「ワ」のケが【櫛の章/櫛真智命】で前述したようにウ段に変化したものと考えられるので、「星の大いなる神」と解釈できる。

別名の石穂押別(イワホオシワク)神(イワホオシワク)については、「イワホ」は「星」を「(いわ)」と「()」、あるいは大きな磐である「(いわお)」(石穂(イワホ)(いわお)も旧仮名遣いでは「いはほ」)に見立てたものと考えられるので、同様に「星の大いなる神」と解釈できる。

イワオシワクの子と名乗って自分の名を名乗らないのは不自然なので、「子」というのは男神の神名末尾のパターンの「コ」が誤解された可能性も考えられる。

また、磐排別之子(イワオシワクノコ)には(いわお)磐石(いわ)を押し分けて出てきたという話があるが、これはイワオシワクという名前から作られた話と考えられる。

 

まとめ

・磐排別之子(イワオシワクノコ)……流星の神

【火の章/豊御富】で前述した流星の神・井光(イヒカ)と同じく神武(じんむ)天皇が吉野で会った尾がある神。つまり井光(イヒカ)と同じく流星の神。

 

関連ページ

【火の章/天忍穂耳尊】……「オシ」は古語の「大し(大きい)」の意。