櫛真智命
櫛真智命は櫛間の神、別名の大麻等乃知神は大窓の神の意。櫛間・大窓は共に天岩戸の意。
延喜式神名帳に登場する神
櫛真智命(クシマチ)は奈良県の天香山神社(奈良県橿原市南浦町608)などで祀られている神である。
記紀には登場しない神だが「延喜式神名帳」(『延喜式』の巻第九、十に記載されている神社一覧)において次のように登場している。
・京中の左京二条に祀られている「久慈真智命神」
・大和国十市郡の「天香山坐櫛真命神社」、元の名は「大麻等乃知神」
・武蔵国多磨郡の「大麻止乃豆乃天神社」
つまり櫛真智命(久慈真智命神)は、櫛真命、大麻等乃知神、大麻止乃豆といった別名を持つ。
「櫛真智ノ真智ハ兆ノ古語」ではない
奈良県編『大和志料 下巻』(奈良県教育会、一九一四年、183頁)には「櫛真智ノ真智ハ兆ノ古語即チ鹿骨亀甲ニ形レタル縦横ノ文ヲ謂ヒ」、つまり櫛真智の真智は兆(鹿の骨・亀の甲を焼き、割れ目の形で占う太占・亀卜における割れ目の形)の古語、という説が書かれている。
しかし櫛真命のように「チ」がない別名や、大麻等乃知神のように「~ノチ」となる別名もあるので、「マチ」を一語と見るこの説は無理がある。
神名解釈
クシマチ、オオマドノチの「チ」は軻遇突智、句句廼馳、武甕槌神などの「チ」と同様に神名末尾のパターンと考えるのが妥当である。
つまり、櫛真智命(久慈真智命神)、櫛真命は「櫛間の神」と解釈できる。
【速の章/補足 天岩戸、天安河の河上の意味】で前述したように、天には天井のような層があり、天岩戸はその天井にある開閉する穴(戸・門・窓・隙間)のようなもので、流星はその天の穴から出てくる、という世界観があったと思われる。
そして「クシ」は本章冒頭で述べたように「流星」を「櫛」に見立てたものと考えられるので、「櫛間」とは流星が出てくる天の隙間である天岩戸の意と考えられる。【甕の章/大背飯三熊之大人】で後述する「甕間」と同様である。
大麻止乃豆(オオマドノツ)はオオマドノチと同義で、神名末尾のパターン「チ」の音がウ段に変化して「ツ」となったものと考えられる。
音がウ段に変化したと考えられる例は多い。ウは最も口を開かず楽に発音できる母音であるため変化しやすいのだと考えられる。
神名におけるこのような変化の例としては、月読尊(ツクヨミ)の別名、月弓尊(ツクユミ)や、阿遅志貴高日子根神(アヂシキタカヒコネ)の別名、味耜高彦根神(アヂスキタカヒコネ)、豊受大神(トヨウケ)の別名、登由宇気神(トユウケ)などが挙げられる。
他にクシ→クス、ツチ→ツツ、ミカ→ミク・ムカ・ムク、ワケ→ワクといった例も後述する。
また、大麻等乃知神、大麻止乃豆は一般的にはオオマトノチ、オオマトノツと読まれているが、「等」「止」はドとも読む。万葉仮名の「止」をドと読む例は少ないが、『万葉集』巻第十八、四一一一番歌の「仁保比知礼止毛」、四一一六番歌の「安蘇比奈具礼止」などの例がある。
これにより、大麻等乃知神、大麻止乃豆は「大窓の神」と解釈できる。
「大麻止乃豆乃天神社」に祀られている天神であることから、この「大窓」も天の大窓とも言える天岩戸の意と考えられる。天岩戸が窓とも考えられていたことは、前項で述べたように天石門別神の別名が櫛石窓神、豊石窓神であることからもわかる。
櫛真智命は前項で述べた櫛石窓神と同様に「天岩戸=昴」の神ということになる。
上代特殊仮名遣
なお、上代(古代前期、奈良時代以前)には上代特殊仮名遣という万葉仮名の使い分けがあり、一部の音については甲類・乙類の二種類があって表記に使われる万葉仮名が異なっている。
この上代特殊仮名遣において、窓(間戸)のドは甲類のドである。
これに対して大麻等乃知神の「等」、大麻止乃豆の「止」は乙類のト、ドに使われる万葉仮名である。『日本三代実録』貞観元年正月二十七日の条においても、大麻等野知神と「等」の字で記されている。
このため「大窓の神」という解釈について疑問に思われるかもしれない。
これについては、上代特殊仮名遣は九世紀にほぼ消滅しており、『日本三代実録』(九〇一年成立)や『延喜式』(九二七年成立)の時代にはト、ドの甲乙の区別は無いため問題ない解釈と考えている。
実際「延喜式神名帳」には他にも陸奥国白河郡の伊波止和気神社のように、岩戸の「戸」(甲類のト)の表記に「止」(乙類のト)の字が使われている例がある。
天香山
「天岩戸=昴」の神である櫛真智命が天香山に祀られているのは、天香山が天岩戸と関連の深い山であるからと考えられる。
天岩戸隠れの神話において神々は天香山で真男鹿、天之波波迦、五百津真賢木などを採取して卜占や祈祷に使用している。天香山の南麓には天岩戸神社(奈良県橿原市南浦町772)もある。
また、天香山は『万葉集』巻第三、二五七番歌で「天降りつく天の香具山」、二六〇番歌で「天降りつく神の香具山」と詠まれており、天から降ってきた山とされている。
『伊予国風土記』逸文、『大和国風土記』逸文では天にあった山が伊予国の天山と大和国の天香山に分かれて天降ったとされる。『阿波国風土記』逸文では阿波国のアマノモトヤマと大和国の天香山に分かれて降ったとされる。
つまり天香山は「天岩戸近辺から降ってきた山」とされていたと考えられる。
そしてこれは「天岩戸=昴」から流星(隕石)が降る話が誇張されて山が降る話となり、「天岩戸近辺から降ってきた山」の神話が生まれたものと考えられる。
また、『日本書紀』神代下第九段一書第六では天火明命の子、尾張連らの遠祖とされる天香山と言う神が登場しており、「天岩戸近辺から降ってきた山」である天香山の神と考えられる。
つまり天香山もまた流星の神(流星に由来する神)と言える。
まとめ
・櫛真智命(クシマチ)……昴の神
・神名・別名の櫛真智命、櫛真命は櫛間の神、大麻等乃知神、大麻止乃豆は大窓の神の意。
・櫛間は流星が出てくる天の隙間、大窓は天の大窓で、共に天岩戸の意。
・つまり【櫛の章/櫛石窓神】で前述した櫛石窓神と同様に「天岩戸=昴」の神。
・天香山に祀られているのは天香山が「天岩戸近辺から降ってきた山」であるため。
関連ページ
・【速の章/補足 天岩戸、天安河の河上の意味】……天岩戸=昴。
・【櫛の章/補足 ユウツヅの意味】……神名中のツツはツチと同義。星の意ではない。
・【甕の章/天御梶日女命】……喪山も「天岩戸近辺から降ってきた山」。
・【甕の章/大背飯三熊之大人】……三熊=甕間=流星が出てくる天の隙間=天岩戸。
・【火の章/穂屋姫命】……天香語山命(天香山)の異母妹で妻。
・【火の章/補足 天羽羽矢、天之加久矢、天真鹿児矢の意味】……天香山の神名解釈。
・【石の章/磐余彦尊】……天香山の北東麓にあった「磐余」の意味。
・【石の章/補足 フツの意味】……フツの「ツ」は神名末尾のパターン「チ」の変化。