流星と昴の日本神話
甕の章

大背飯三熊之大人

五百箇御統(いおつのみすまる)(すばる)」から生まれ天降る流星の神・天穂日(アマノホヒ)命の子。父に続いて天降る流星の神。

 

葦原中国(あしはらのなかつくに)の平定のため天降る神

大背飯三熊之大人(オオセヒミクマノウシ)(オオセヒミクマノウシ)は『日本書紀』神代下第九段本文に登場する神で、別名、武三熊之大人(タケミクマノウシ)とも言う。

高皇産霊(タカミムスヒ)尊は葦原中国(あしはらのなかつくに)の平定のため天穂日(アマノホヒ)命を派遣したが、天穂日(アマノホヒ)命は大己貴(オオアナムチ)神に媚びて帰ってこなかった。このため天穂日(アマノホヒ)命の子の大背飯三熊之大人(オオセヒミクマノウシ)を派遣したが、同様に帰ってこなかったという。

【速の章/補足 天照大神と素戔嗚尊の誓約の意味】で前述したように、天穂日(アマノホヒ)命は「五百箇御統(いおつのみすまる)(すばる)」から生まれた流星の神と考えられる。その子の大背飯三熊之大人(オオセヒミクマノウシ)天穂日(アマノホヒ)命に続いて天降るので同じく流星の神と考えられる。

 

建比良鳥(タケヒラトリ)命、天夷鳥(アマノヒナトリ)

『古事記』では天之菩卑(アマノホヒ)能命(天穂日(アマノホヒ)命)の子として建比良鳥(タケヒラトリ)命(出雲国造(いずものくにのみやつこ)无邪志(むざし)国造、上菟上(かみつうなかみ)国造、下菟上(しもつうなかみ)国造、伊自牟(いじむ)国造、津島県直(つしまのあがたのあたい)遠江(とおつおうみ)国造らの祖)という神が登場する。

『日本書紀』崇神(すじん)天皇六十年七月の条には、武日照(タケヒナテル)命、別名、武夷鳥(タケヒナトリ)天夷鳥(アマノヒナトリ)という神が天から持って来た神宝が出雲大神の宮に納められているという記述がある。

先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』天孫本紀、天皇本紀にも、武日照(タケヒナテル)命の神宝に関する記述がある。

新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』では、左京神別(しんべつ)中 天孫 出雲宿祢(いずものすくね)の条に「天穂日(アマノホヒ)命の子、天夷鳥(アマノヒナトリ)命の後なり」、山城国(やましろのくに)神別(しんべつ) 天孫 出雲臣(いずものおみ)の条に「同神(天穂日(アマノホヒ)命)の子、天日名鳥(アマノヒナトリ)命の後なり」とある。

延喜式(えんぎしき)』巻第八「祝詞(のりと)」に収録されている「出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)」には豊葦原乃水穂国(とよあしはらのみずほのくに)葦原中国(あしはらのなかつくに))の平定のため天穂比(アマノホヒ)命(天穂日(アマノホヒ)命)の子の天夷鳥(アマノヒナトリ)命に布都怒志(フツヌシ)命(経津主(フツヌシ)神)を()えて天降らせたという記述がある。

『古事記』の建比良鳥(タケヒラトリ)命と『日本書紀』『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』「出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)」の天夷鳥(アマノヒナトリ)武日照(タケヒナテル)命、武夷鳥(タケヒナトリ)天夷鳥(アマノヒナトリ)命、天日名鳥(アマノヒナトリ)命)は、「タケヒトリ」と「タケヒトリ」という類似した神名や、天穂日(アマノホヒ)命の子、出雲氏の祖という共通点から同神と解釈されている。

そして大背飯三熊之大人(オオセヒミクマノウシ)武三熊之大人(タケミクマノウシ))とも同神とする説がある。共に天穂日(アマノホヒ)命の子で葦原中国(あしはらのなかつくに)の平定のため天降る神であることから妥当な説と考えている。

 

各文献における名前

・『古事記』……建比良鳥(タケヒラトリ)

・『日本書紀』……大背飯三熊之大人(オオセヒミクマノウシ)武三熊之大人(タケミクマノウシ)武日照(タケヒナテル)命、武夷鳥(タケヒナトリ)天夷鳥(アマノヒナトリ)

・『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』……天夷鳥(アマノヒナトリ)命、天日名鳥(アマノヒナトリ)

・『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』……武日照(タケヒナテル)

・「出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)」……天夷鳥(アマノヒナトリ)

 

「オホソビノミクマノウシ」ではない

坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋(おおのすすむ)校注『日本古典文学大系67 日本書紀 上』(岩波書店、一九六七年)では大背飯三熊之大人を「オホソビノミクマノウシ」と読んでいる。

また「鳥は使者の役をするというので、ソビという鳥の名を持っている。大背飯の、背(ソ)と飯(イヒ→ビ)は、訓仮名で、オホソビ(大鴗)という鳥の名と見るべきであろう」としている。

なお、(そび)は「翡翠(かわせみ)の古名」(『古語大辞典』小学館、一九八三年)である。

【速の章/補足 大日孁貴、月読尊、蛭児の意味】で前述したように、このような単独の名前にしか適用できないような解釈は、こじつけに陥りやすく信憑性に欠ける。

このため本書では複数の名前に渡って同様の解釈が適用できるような解釈を行う。

 

神名解釈

江戸時代の国学者・平田篤胤(ひらたあつたね)の『古史伝』(一八二五年)や、小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守校注/訳『新編日本古典文学全集2 日本書紀1』(小学館、一九九四年)では、大背飯三熊之大人を「オホセヒミクマノウシ」と読んでいる。

江戸時代の国学者・本居宣長(もとおりのりなが)の『古事記伝』(一七九八年)のように「飯」を「イヒ」と読んで、「オホセヒミクマノウシ」とする説もある。

しかし、序文で述べたように上代においては母音の連続を避ける傾向が強く、また万葉仮名の「飯」は上代特殊仮名遣(かなづかい)における「甲類のヒ」の表記に使われる字である。このため「オホセヒミクマノウシ」と読むのが妥当と考えている。

大背飯三熊之大人(オオセヒミクマノウシ)の「()」は、天穂日(アマノホヒ)命の「()」と同じく甲類のヒである。つまりは天穂日(アマノホヒ)命の「()」と同じく神名末尾のパターンの「ヒ」と考えられるので、「大背飯(オオセヒ)」と「三熊之大人(ミクマノウシ)」の二つの神名が連結されていると考えられる。

このような複数の神名が連結されている神名は、正哉吾勝勝速日天忍穂耳(マサカアカツカチハヤヒアマノオシホミミ)尊など他にも例がある(付録参照)。

 

大背飯(オオセヒ)の意味

大背飯(オオセヒ)(オオセヒ)を解釈すると、「セ」は「()」つまり急流の意と考えられるので、「大きな()(急流)の神」と解釈できる。

【速の章/速川比古、速川比女】で前述した速川比古(ハヤカワヒコ)速川比女(ハヤカワヒメ)と同様に、天の川の急流を天降る流星の神を意味する神名と考えられる。

同様に天の川の急流を天降る流星の神を意味する神名と考えられるものとしては、次のものがある(神名中のセ、タキ、タギが急流の意)。

 

湍津姫(タギツヒメ)多岐都比売(タキツヒメ)命)、田心姫(タゴリヒメ)多紀理毘売(タキリビメ)命)……【速の章/補足 タギツヒメ、タゴリヒメの意味】で前述。

香香背男(カカセオ)……【甕の章/天津甕星】で前述。

多伎都比古(タキツヒコ)命……【甕の章/天御梶日女命】で前述。

手置帆負(タキホヒ)神……【火の章/手置帆負神】で後述。

天背男(アマノセオ)命……【石の章/建葉槌命】で後述。

 

三熊之大人(ミクマノウシ)の意味

三熊之大人(ミクマノウシ)(ミクマノウシ)を解釈すると、「ミク」は「ミ」のカが【櫛の章/櫛真智命】で前述したようにウ段に変化したもので、本章冒頭で述べたように「流星」を「(ミカ)」に見立てたものと考えられる。

【速の章/補足 天岩戸、天安河の河上の意味】で前述したように、天には天井のような層があり、天岩戸はその天井にある開閉する穴(戸・門・窓・隙間)のようなもので、流星はその天の穴から出てくる、という世界観があったと思われる。

三熊(ミクマ)」は「甕間(ミカマ)」、つまり流星が出てくる天の隙間である天岩戸の意と考えられる。【櫛の章/櫛真智命】で前述した「櫛間」と同様である。

「ウシ」は神名末尾のパターンであるため、三熊之大人(ミクマノウシ)は「天岩戸の神」と解釈できる。

つまり大背飯三熊之大人(オオセヒミクマノウシ)【速の章/補足 天岩戸、天安河の河上の意味】で前述した「天岩戸=(すばる)」の神であり流星の神でもある「(すばる)と流星の神」と考えられる。

 

まとめ

・大背飯三熊之大人(オオセヒミクマノウシ)……(すばる)と流星の神

【速の章/補足 天照大神と素戔嗚尊の誓約の意味】で前述した流星の神・天穂日(アマノホヒ)命の子であり、天穂日(アマノホヒ)命に続いて天降るので同じく流星の神。

・「大背飯(オオセヒ)」は「大きな()(急流)の神」つまり天の川の急流を天降る流星の神の意。

・「三熊(ミクマ)」は「甕間(ミカマ)」、つまり流星が出てくる天の隙間である「天岩戸=(すばる)」の意。

 

関連ページ

【速の章/速川比古、速川比女】……天の川の急流を天降る流星の神。

【速の章/補足 天岩戸、天安河の河上の意味】……天岩戸=(すばる)

【櫛の章/櫛真智命】……櫛真(クシマ)櫛間(クシマ)=流星が出てくる天の隙間=天岩戸。

【火の章/天穂日命】……大背飯三熊之大人(オオセヒミクマノウシ)の父。

【石の章/補足 タケ、トヨの意味】……武三熊之大人(タケミクマノウシ)のタケの意味。