流星と昴の日本神話
速の章

補足 大日孁貴、月読尊、蛭児の意味

大日孁貴(オオヒルメノムチ)=大いなる昼の女神、月読(ツクヨミ)尊=月夜(つくよ)の神、蛭児(ヒルコ)=昼の男神。孁に巫女の意は無い。

 

天照(アマテラス)大神、月読(ツクヨミ)尊、蛭児(ヒルコ)素戔嗚(スサノオ)

『日本書紀』神代上第五段本文では、天照(アマテラス)大神、月読(ツクヨミ)尊、蛭児(ヒルコ)素戔嗚(スサノオ)尊が順に生まれる。

 

(書き下し文)

(ここ)に共に日神(ひのかみ)を生みたまふ。大日孁貴(おほひるめのむち)(まを)す。大日孁貴、(ここ)には於保比屢咩能武智(おほひるめのむち)()ふ。孁、(おん)力丁反(りょくていはん)一書(あるふみ)()はく、天照大神(あまてらすおほみかみ)といふ。一書に云はく、天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)といふ。()(みこ)光華明彩(ひかりうるは)しく、六合(くに)(うち)()(とほ)る。(中略)故、天柱(あまのみはしら)を以ちて、天上(あめ)()げまつりたまふ。次に月神(つきのかみ)()みたまふ。一書に云はく、月弓尊(つくゆみのみこと)月夜見尊(つくよみのみこと)月読尊(つくよみのみこと)といふ。()光彩(ひかり)()()げり。以ちて日に(なら)べて()らすべし。故、(また)(あめ)に送りたまふ。次に蛭児(ひるこ)を生みたまふ。(すで)三歳(みとせ)(いへど)も、(あし)(なほ)し立たず。故、天磐櫲樟船(あまのいはくすぶね)()せて、風の(まにま)放棄(はなちす)てたまふ。次に素戔嗚尊(すさのをのみこと)を生みたまふ。一書に云はく、神素戔嗚尊(かむすさのをのみこと)速素戔嗚尊(はやすさのをのみこと)といふ。

(現代語訳)

そこで一緒に日の神をお生みになった。これを大日孁貴(おおひるめのむち)と申す〔「大日孁貴」はここではオホヒルメノムチという。「孁」の音は力丁の反。一書に天照大神(あまてらすおおみかみ)という。一書に、天照大日孁尊(あまてらすおおひるめのみこと)という〕。この御子は輝くこと明るく美しく、天地四方の隅々まで照り輝いた。(中略)そこで、天の御柱を伝って天上にお上げ申しあげられた。次に月の神をお生みになった〔一書に、月弓尊(つくゆみのみこと)月夜見尊(つくよみのみこと)月読尊(つくよみのみこと)という〕。その神の美しい光は日の神に次ぐものであった。そこで日の神と並んで治めるのがよかろう。ということで、また天上に送られた。次に蛭子(ひるこ)をお生みになった。この子はとうとう三年経っても脚が立たなかった。それで、天磐櫲樟船(あまのいわくすぶね)に載せて、風のまにまに()ててしまわれた。次に素戔嗚尊(すさのおのみこと)をお生みになった〔一書に、神素戔嗚尊(かむすさのおのみこと)速素戔嗚尊(はやすさのおのみこと)という〕。

《出典》小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守校注/訳『新編日本古典文学全集2 日本書紀1』(小学館、一九九四年、三五~三七頁)

 

大日孁貴(オオヒルメノムチ)の意味

日の神・天照(アマテラス)大神の別名、大日孁貴(オオヒルメノムチ)(オオヒルメノムチ)を解釈すると、

 

(オオ)……そのまま「大いなる」の意。

ヒル……「昼」の意。

メ……女神の神名末尾のパターン

ムチ……神名末尾のパターン。神名末尾のパターンは複数重なる例も多い(【付録】参照)。

 

これにより大日孁貴(オオヒルメノムチ)は「大いなる昼の女神」と解釈できる。

「日の女神」が「昼の女神」と言い換えられている。

 

月読(ツクヨミ)尊の意味

月の神・月読(ツクヨミ)尊(月夜見(ツクヨミ)尊、ツクヨミ)についても解釈すると、

 

ツクヨ……「月夜(つくよ)」の意。

ミ……神名末尾のパターン。

 

これにより月読(ツクヨミ)尊は「月夜(つくよ)の神」と解釈できる。

大日孁貴(オオヒルメノムチ)と同様に「月の神」が「月夜(つくよ)の神」と言い換えられている。

 

蛭児(ヒルコ)の意味

蛭児(ヒルコ)(ヒルコ)についても解釈すると、

 

ヒル……「昼」の意。

コ……ムスとムス、ヲトとヲト、ヒとヒのように男を意味し、男神の神名末尾のパターン。

 

これにより蛭児(ヒルコ)は「昼の男神」と解釈できる。

大日孁貴(オオヒルメノムチ)と同様に「日の男神」が「昼の男神」と言い換えられた名と考えられる。これは天照(アマテラス)大神と共に生まれる神であることからも裏付けられる。また、日の神・蛭児(ヒルコ)が棄てられる神話となっているのは、日は一つしかなく、その日の神としては天照(アマテラス)大神がいるためと考えられる。

 

「ヒルメは日の()」説

民俗学者の折口信夫(おりくちしのぶ)は「古代人の思考の基礎」という論考で次のように述べた。

 

私の考へでは、女神は、皆もとは、巫女であつた。(中略)ひるめと言ふのは、日の()卽、日の神の()・后と言ふことである。ひるめである。

《出典》折口信夫「古代人の思考の基礎」(『民俗学 第二巻第二号』民俗学会、一九三〇年)

 

『日本古典文学大系67 日本書紀 上』も大日孁貴の注釈において次のように述べている。

 

ヒルメのルは、神魯岐(かむろき)・神魯弥(かむろみ)のロ、神留伎(かむるき)・神留弥(かむるみ)のル、ヒルコのルと同じく、助詞のノの意の古語。

《出典》坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本古典文学大系67 日本書紀 上』(岩波書店、一九六七年、八七頁)

 

なお、神魯岐(かむろき)神留伎(かむるき)は男神、神魯弥(かむろみ)神留弥(かむるみ)は女神を意味する。

 

「ヒルメは日の()」ではない

しかし、一般的な古語辞典を見ればわかるように、古語のル、ロに助詞のノの意は無い。

例外として『岩波古語辞典』は次のように記している。

 

〘助〙(中略)③連体助詞「の」と同じ意をあらわす。「嶺(を)ろ田」「大蛇(をろち)」など。(後略)

《出典》大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典』(岩波書店、一九七四年)

 

しかしこれは『岩波古語辞典』の編者である国語学者の大野晋(おおのすすむ)が『日本古典文学大系67 日本書紀 上』の校注者でもあるためである。『日本古典文学大系67 日本書紀 上』の注釈の説に基づいた語義を『岩波古語辞典』に記載しているわけである。

また、ロに助詞のノの意が無いことは次のことからもわかる。

延喜式(えんぎしき)』(九二七年成立)の巻第八に収録されている祝詞(のりと)出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)」には素戔嗚(スサノオ)尊の別名とされる「伊射那伎乃日真名子(イザナキノヒマナゴ)加夫呂伎(カブロキ)熊野大神櫛御気野(クシミケノ)命」が記されている。「加夫呂伎(カブロキ)」は「神魯岐(かむろき)」と同義で、【序文】で述べた子音のmとbが交替したものと考えられる。

そして『出雲国風土記(いずものくにふどき)』(七三三年成立)意宇郡(おうのこおり)出雲神戸(いずものかむべ)の条では「伊弉奈枳乃麻奈子坐(イザナキノマナゴニマス)熊野加武呂(クマノカムロ)乃命」という少し違う神名で記されている。

この神名中の「加武呂乃命(カムロノミコト)(カムロノミコト)」について「神魯岐(かむろき)神魯弥(かむろみ)のロは助詞のノの意の古語」と解釈すると、助詞のノが連続することになってしまうので文法としておかしい。つまりこの解釈は間違っていることがわかる。

このように古語のル、ロに助詞のノの意は無く、「ヒルメは日の()」説は誤りである。

 

「孁は巫女の意」説

『日本古典文学大系67 日本書紀 上』では大日孁貴(オオヒルメノムチ)の「孁」の字の注釈においても次のように述べている。

 

孁は、巫女の意で用いた文字であろう。(中略)広雅、釈詁に「靈、巫也」ともある。この靈の巫を女に改め、孁とすることによって女巫であることを、書紀の筆者が意味的に示そうとしたものと思われる。

《出典》坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本古典文学大系67 日本書紀 上』(岩波書店、一九六七年、八七頁)

 

つまり「孁」に似ている「靈」(「霊」の旧字体)には「巫」つまり「みこ。かんなぎ。舞樂で神を下して禱請する人」(『大漢和辞典 修訂第二版』大修館書店)の意もあるので、「孁」も巫女の意で用いた文字と思われる、という説である。

 

「孁は巫女の意」ではない

この注釈から「孁」は書紀の筆者が靈の巫を女に改めて作った和製漢字であると誤解している人もいるようだが、「孁」は中国最古といわれる字書『説文解字(せつもんかいじ)』(後漢の許慎(きょしん)の著。西暦一〇〇年成立)にも記載されている字であり、「女字也」と記されている。

つまり女性の(あざな)(姓、(いみな)とは別の名)に用いられる字であり、(えい)襄公(じょうこう)の側室、婤姶(しゅうおう)の「婤」「姶」なども同様に「女字也」と記されている。

またこの注釈の論法に従えば、高皇產靈(タカミムスヒ)尊、神皇產靈(カムミムスヒ)尊、火產靈(ホムスヒ)などの神名に、()の意がある「靈」の字を書紀では用いているので、これらの神も()であると書紀の筆者は示そうとしたということになる。

日本史学者の岡田精司は『古代王権の祭祀と神話』(塙書房、一九七〇年、三九九頁)において、天照(アマテラス)大神を「神宮における巫女の神格化」とし、「古い太陽神は記紀神話のタカミムスビ」としているが、この高皇產靈(タカミムスヒ)尊もまた神に仕える()ということになってしまう。

また、火產靈(ホムスヒ)軻遇突智(カグツチ)の別名だが、生まれてすぐ伊奘諾(イザナキ)尊に殺されているので、()(舞楽で神を下して祈請する人)とは考え難い。

つまり、()の意がある「靈」の字は()の意で使われておらず、()の意がない「孁」の字は()の意で使われている、などという無理のある解釈をしなければ、「孁は巫女の意」説は成り立たない。

「靈」は「霊」の旧字体であるため、そのまま霊の意で用いられていると考えるのが妥当であり、もし書紀の筆者が「孁」を「靈」と同様の字として採用したのだとしても、同様に女性の霊の意で用いたと考えるのが妥当である。

このように「孁は巫女の意」説もまた誤りである。

 

「月読とは月齢を数えることから発した名」ではない

同じ神名に複数の漢字表記がある場合が多いことからもわかるように、神名の漢字表記は当て字である場合が多く、神名解釈では漢字の意味は傍証にはなっても直接の根拠にはならない。

「月夜見尊」のように「月夜の神」という神名解釈に比較的合っている漢字表記もあれば、「月読尊」のように合っていない漢字表記もある。

『日本古典文学大系67 日本書紀 上』は注釈で次のように述べている。

 

月読とは、本来、毎晩毎晩、月齢を数えることから発した名である。

《出典》坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本古典文学大系67 日本書紀 上』(岩波書店、一九六七年、五五四頁)

 

神名末尾のパターンを知らなかったり漢字表記にとらわれていたりすると、このように当て字の意味を解釈してしまうので注意する必要がある。

なお、「月を()む」という表現はあり、『万葉集』に「月()めば いまだ冬なり しかすがに (かすみ)たなびく 春()ちぬとか」(巻第二十、四四九二番歌)という歌もある。

しかしもちろん月齢を数えても「いまだ冬なり」とはわからないので、この「月を()む」は「月齢を数えること」ではなく「(時間の単位としての)月を数えること」を意味している。

いずれにせよ月読(ツクヨミ)尊には、月の神、夜之食国(よるのおすくに)を治める神とする神話は有るが「月齢を数えること」「(時間の単位としての)月を数えること」に関する神話は無い。

つまり「月夜の神」という神名解釈には根拠・裏付けが有るが、「月齢を数えることの神」「(時間の単位としての)月を数えることの神」という神名解釈には、それが単なるこじつけではないことを示す根拠・裏付けが無い。「読」という漢字は当て字の可能性があり根拠にはならない。

根拠・裏付けが無い解釈に信憑性は無い。

 

本書における神名解釈の方法

「大日孁貴」という漢字表記は「日」の字には昼の意もあり「孁」は女性であることを示している字であるため、「大いなる昼の女神」という神名解釈に比較的合っている漢字表記と言える。

それでも漢字表記にとらわれていると「(ヒル)()」が「(ヒル)()」の意であることに気づかず、「日の()」といった解釈に陥ってしまう。

つまり神名を解釈する上では、当て字の可能性がある漢字表記にとらわれるのではなく、神名の読みと神名末尾のパターンに着目して解釈する必要がある。

また、日の女神を昼の女神、月の神を月夜(つくよ)の神といったように言い換えたり、【速の章/速玉之男】【速の章/速秋津日命】【速の章/速川比古、速川比女】の神名解釈で前述したように「見立て」を用いたりすることも多いと考えられる。

このため神名を解釈する上では、言い換えや「見立て」によって別のものを表現している可能性も考える必要がある。

前述したように、それが単なるこじつけではないことを示す根拠・裏付けが無い解釈に信憑性は無い。

また、単独の名前にしか適用できないような解釈は、こじつけに陥りやすく信憑性に欠けるため、本書では行わないようにしている。

「ヒルメ=昼の女神」と「ツクヨミ=月夜(つくよ)の神」、「ヒルメ=昼の女神」と「ヒルコ=昼の男神」などのように、複数の名前に渡って同様に適用できるような解釈を行っている。

 

まとめ

大日孁貴(オオヒルメノムチ)は「大いなる昼の女神」、月読(ツクヨミ)尊は「月夜(つくよ)の神」、蛭児(ヒルコ)は「昼の男神」。

ヒルメのルに助詞のノの意は無く「ヒルメは日の()」説は誤り。孁にも巫女の意は無い。

神名解釈では漢字表記にとらわれず、読みと神名末尾のパターンに着目する必要がある。

神名は言い換えや「見立て」によって別のものを表現している可能性もある。

それが単なるこじつけではないことを示す根拠・裏付けが無い解釈に信憑性は無い。

単独の名前にしか適用できない解釈は、こじつけに陥りやすく信憑性に欠ける。

 

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