補足 大日孁貴、月読尊、蛭児の意味
大日孁貴=大いなる昼の女神、月読尊=月夜の神、蛭児=昼の男神。孁に巫女の意は無い。
大日孁貴の意味
日の神・天照大神は別名、大日孁貴(オオヒルメノムチ)ともいう。この神名を解釈すると、
・「大」はそのまま「大いなる」の意。
・「ヒル」は「昼」の意。
・「メ」は女神の神名末尾のパターン。
・「ムチ」も神名末尾のパターン。神名末尾のパターンは複数重なる例も多い(付録参照)。
これにより「大いなる昼の女神」と解釈できる。
「日の女神」が「昼の女神」と言い換えられている。
月読尊の意味
月の神・月読尊(月夜見尊、ツクヨミ)についても解釈すると、
・「ツクヨ」は「月夜」の意。
・「ミ」は神名末尾のパターン。
これにより「月夜の神」と解釈できる。
大日孁貴と同様に「月の神」が「月夜の神」と言い換えられている。
蛭児の意味
『日本書紀』神代上第五段本文では、天照大神、月読尊、素戔嗚尊と共に蛭児も生まれるが、この神は三歳になっても脚が立たなかったので棄てられている。
この蛭児(ヒルコ)についても解釈すると、
・「ヒル」は「昼」の意。
・「コ」はムスコとムスメ、ヲトコとヲトメ、ヒコとヒメのように男を意味し、男神の神名末尾のパターン。
これにより「昼の男神」と解釈できる。
大日孁貴と同様に「日の男神」が「昼の男神」と言い換えられた名と考えられる。これは天照大神と共に生まれる神であることからも裏付けられる。また、日の神・蛭児が棄てられる神話となっているのは、日は一つしかなく、その日の神としては天照大神がいるためと考えられる。
「ヒルメは日の妻」説
民俗学者の折口信夫は「古代人の思考の基礎」という論考で次のように述べた。
私の考へでは、女神は皆、もとは巫女であつた。(中略)ひるめと言ふのは、日の妻即、日の神の妻・后と言ふことである。ひるめのるは、のである。
坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本古典文学大系67 日本書紀 上』(岩波書店、一九六七年)も、大日孁貴の注釈(八七頁)において次のように述べている。
ヒルメのルは、神魯岐(かむろき)・神魯弥(かむろみ)のロ、神留伎(かむるき)・神留弥(かむるみ)のル、ヒルコのルと同じく、助詞のノの意の古語。
なお、神魯岐・神留伎は男神、神魯弥・神留弥は女神を意味する。
「ヒルメは日の妻」ではない
しかし、一般的な古語辞典を見ればわかるように、古語のル、ロに助詞のノの意は無い。
例外として、大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典』(岩波書店、一九七四年)は「ろ」の項において「連体助詞「の」と同じ意をあらわす」としている。
しかしこれは『岩波古語辞典』の編者である国語学者の大野晋が『日本古典文学大系67 日本書紀 上』の校注者でもあるためである。『日本古典文学大系67 日本書紀 上』の注釈の説に基づいた語義を『岩波古語辞典』に記載しているわけである。
また、ロに助詞のノの意が無いことは次のことからもわかる。
『延喜式』(九二七年成立)の巻第八に収録されている祝詞「出雲国造神賀詞」には素戔嗚尊の別名とされる「伊射那伎乃日真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命」が記されている。
この神名中の「加夫呂伎」は「神魯岐」と同義で、【序文】で述べた子音のmとbが交替したものと考えられる。
そして『出雲国風土記』(七三三年成立)意宇郡出雲神戸の条では「伊弉奈枳乃麻奈子坐熊野加武呂乃命」という少し違う神名で記されている。
この神名中の「加武呂乃命(カムロノミコト)」について「神魯岐・神魯弥のロは助詞のノの意の古語」と解釈すると、助詞のノが連続することになってしまうので文法としておかしい。つまりこの解釈は間違っていることがわかる。
このように古語のル、ロに助詞のノの意は無く、「ヒルメは日の妻」説は誤りである。
「孁は巫女の意」説
『日本古典文学大系67 日本書紀 上』では大日孁貴の「孁」の字の注釈(八七頁)においても次のように述べている。
孁は、巫女の意で用いた文字であろう。(中略)広雅、釈詁に「靈、巫也」ともある。この靈の巫を女に改め、孁とすることによって女巫であることを、書紀の筆者が意味的に示そうとしたものと思われる。
つまり「孁」に似ている「靈」(「霊」の旧字体)には「巫」つまり「みこ。かんなぎ。舞楽で神を下して祈請する人」(『大漢和辞典 修訂第二版』大修館書店、一九八九~一九九〇年)の意もあるので、「孁」も巫女の意で用いた文字と思われる、という説である。
「孁は巫女の意」ではない
この注釈から「孁」は書紀の筆者が靈の巫を女に改めて作った和製漢字であると誤解している人もいるようだが、「孁」は中国最古といわれる字書『説文解字』(後漢の許慎の著。西暦一〇〇年成立)にも記載されている字であり、「女字也」と記されている。
つまり女性の字(姓、諱とは別の名)に用いられる字であり、衛の襄公の側室、婤姶の「婤」「姶」なども同様に「女字也」と記されている。
またこの注釈の論法に従えば、高皇產靈尊、神皇產靈尊、火產靈などの神名に、巫の意がある「靈」の字を書紀では用いているので、これらの神も巫であると書紀の筆者は示そうとしたということになる。
日本史学者の岡田精司は『古代王権の祭祀と神話』(塙書房、一九七〇年、三九九頁)において、天照大神を「神宮における巫女の神格化」とし、「古い太陽神は記紀神話のタカミムスビ」としているが、この高皇產靈尊もまた神に仕える巫ということになってしまう。
また、火產靈は軻遇突智の別名だが、生まれてすぐ伊奘諾尊に殺されているので、巫(舞楽で神を下して祈請する人)とは考え難い。
つまり、巫の意がある「靈」の字は巫の意で使われておらず、巫の意がない「孁」の字は巫の意で使われている、などという無理のある解釈をしなければ、「孁は巫女の意」説は成り立たない。
「靈」は「霊」の旧字体であるため、そのまま霊の意で用いられていると考えるのが妥当であり、もし書紀の筆者が「孁」を「靈」と同様の字として採用したのだとしても、同様に女性の霊の意で用いたと考えるのが妥当である。
このように「孁は巫女の意」説もまた誤りである。
「月読とは月齢を数えることから発した名」ではない
同じ神名に対して複数の漢字表記がある場合が多いことからもわかるように、神名の漢字表記は当て字である場合が多い。
このため「月夜見尊」のように「月夜の神」という神名解釈に比較的合っている漢字表記もあれば、「月読尊」のように合っていない漢字表記もある。江戸時代の国学者・本居宣長も『古事記伝』(一七九八年)において「読」は借字(当て字)と述べている。
しかし『日本古典文学大系67 日本書紀 上』の注釈(五五四頁)では、「月読とは、本来、毎晩毎晩、月齢を数えることから発した名である」としている。
神名末尾のパターンを知らなかったり漢字表記にとらわれていたりすると、このように当て字の意味を解釈してしまうので注意する必要がある。
なお、「月を数む」という表現はあり、『万葉集』に「月数めば いまだ冬なり しかすがに 霞たなびく 春立ちぬとか」(巻第二十、四四九二番歌)という歌もある。
しかしもちろん月齢を数えても「いまだ冬なり」とはわからないので、この「月を数む」は「月齢を数えること」ではなく「(時間の単位としての)月を数えること」を意味している。
いずれにせよ月読尊には月の神、夜之食国を治める神とする神話は有るが「月齢を数えること」「(時間の単位としての)月を数えること」に関する神話は無い。このため「月齢を数えることの神」「(時間の単位としての)月を数えることの神」といった神名解釈は根拠に乏しく無理がある。
本書における神名解釈の方法
「大日孁貴」という漢字表記は「日」の字には昼の意もあり「孁」は女性であることを示している字であるため、「大いなる昼の女神」という神名解釈に比較的合っている漢字表記と言える。
それでも漢字表記にとらわれていると「日孁」が「昼女」の意であることに気づかず、「日の妻」といった解釈に陥ってしまう。
つまり神名を解釈する上では漢字表記にとらわれるのではなく、神名の読みと神名末尾のパターンに着目して解釈する必要がある。
また、日の女神を昼の女神、月の神を月夜の神といったように言い換えたり、【速の章/速玉之男】や【速の章/速秋津日命】、【速の章/速川比古、速川比女】の神名解釈で前述したように「見立て」を用いたりすることも多いと考えられる。
このため神名を解釈する上では、言い換えや「見立て」によって別のものを表現している可能性も考える必要がある。
なお、100%正しい神名解釈は無いとしても、単独の名前にしか適用できないような解釈は、こじつけに陥りやすく信憑性に欠けるため、本書では行わないようにしている。
「ヒルメ=昼の女神」と「ツクヨミ=月夜の神」、「ヒルメ=昼の女神」と「ヒルコ=昼の男神」などのように、複数の名前に渡って同様の解釈が適用できるような解釈を行っている。
また、月読尊を「月齢を数えることの神」「(時間の単位としての)月を数えることの神」と解釈するような根拠・裏付けがない解釈も、同様にこじつけに陥りやすく信憑性に欠けるため、行わないようにしている。
まとめ
・大日孁貴は「大いなる昼の女神」、月読尊は「月夜の神」、蛭児は「昼の男神」。
・ヒルメのルに助詞のノの意は無く「ヒルメは日の妻」説は誤り。孁にも巫女の意は無い。
・神名解釈では漢字表記にとらわれず、読みと神名末尾のパターンに着目する必要がある。
・神名は言い換えや「見立て」によって別のものを表現している可能性もある。
・単独の名前にしか適用できない解釈や、根拠・裏付けがない解釈は、こじつけに陥りやすく信憑性に欠けるため、本書では行わないようにしている。
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