補足 ユウツヅの意味
宵の明星の別名「ゆうつづ」は「夕の神」の意。ツツ、ツヅは星の意ではない。
「ツツ、ツヅは星の意」説
「ゆうつづ」(歴史的仮名遣では「ゆふつづ」)とは「西の夕空低く明るく光る金星。宵の明星」(『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、一九六七年)のことである。
漢字では「夕星」とも表記するため、「夕(ゆう)」+「星(つづ)」と解釈して、ツツ、ツヅは星の意と説明されることが多い。
一般的な古語辞典ではツツ、ツヅを星の意とはしていない。
しかし、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本古典文学大系67 日本書紀 上』(岩波書店、一九六七年)は磐筒男命の注釈(五五七頁)で「ツツは星」としている。
大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典』(岩波書店、一九七四年)も「つづ」の項で「星の古名」としている。
【速の章/補足 天岩戸、天安河の河上の意味】で前述したように、国文学者の勝俣隆も著書『星座で読み解く日本神話』(大修館書店、二〇〇〇年)でこの説を支持しており、星は天の層に開いた「筒」状の穴から漏れる光とみなされていたとする説を述べている。
また、住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)の神名中の「筒」を星の意とする説や、それにより住吉三神をオリオン座の三つ星の神とする説などもある。
歴史学者の吉田東伍は著書『倒叙日本史 第十冊 神代及上古編』(早稲田大学出版部、一九一四年、二一二~二一三頁)で次のように述べている。
又、彼の塩椎翁・筒男神をも想ふべし。塩椎は潮路の義にして、筒は星をもツツといへば、星辰を以て夜航の方位を知るに由り、海童国の祖を星に取りて名つけし者の如し。
国文学者の倉野憲司は、倉野憲司・武田祐吉校注『日本古典文学大系1 古事記 祝詞』(岩波書店、一九五八年)の注釈(七一頁)で「筒は星(つつ)で底中上の三筒之男は、オリオン座の中央にあるカラスキ星(参)」としている。カラスキ星、参はオリオン座の三つ星のことである。
倉野憲司は後に神名中の「筒」を星の意とする説を撤回し、倉野憲司『古事記全註釈 第二巻 上巻篇(上)』(三省堂、一九七四年、三〇六頁)において次のように撤回の理由を述べている。
併しこの推測は、わが上代人が星に対して殆ど関心を示してゐないことと、「石筒之男神」の「筒」を星と解し難いこととが大きな障碍となる。
しかし、【序文】で述べたように日本神話には星の神話が含まれており、石筒之男神(磐筒男神)もまた名前に星が付く神社(星宮神社や速星神社)で祀られている星の神である。
これらの点から「ツツ、ツヅは星の意」説は一見正しいようにも見える。
「ツツ、ツヅは星の意」ではない
しかし次に挙げるように神名中の「ツツ」は別名では「ツチ」となっている例が多い。
・底筒男命(ソコツツノオ)の別名が、底土命(ソコツチ)
・中筒男命(ナカツツノオ)の別名が、赤土命(アカツチ)
・表筒男命(ウワツツノオ)の別名が、磐土命(イワツチ)
・塩筒老翁(シオツツノオヂ)の別名が、塩土老翁(シオツチノオヂ)、塩椎神(シオツチ)
このため「ツツ」は「ツチ」と同義と考えられる。江戸時代の国学者・本居宣長も『古事記伝』(一七九八年)において同じ理由から「筒は都知の意なること、いよゝ明けし」と述べている。
「チ」は神名末尾のパターンであり(句句廼馳、櫛真智命、止与波知命など)、古語で「〜の」を意味する連体助詞の「ツ」が前につくと「ツチ」となる(軻遇突智、武甕槌神など)。
そして【櫛の章/櫛真智命】で前述した「オオマドノチ→オオマドノツ」のように、神名末尾のパターン「チ」がウ段に変化して「ツ」となることがある。
つまり「ツツ」は星の意ではなく、連体助詞の「ツ」+神名末尾のパターン「チ」がウ段に変化した「ツ」と考えられる。「~の神」といった意味ということになる。
神名末尾のパターンは複数重なる例も多く(付録参照)、「オ」は男神の神名末尾のパターンと考えられるので、住吉三神の「ツツノオ」は「~の男神」といった意味ということになる。武甕槌神の別名、建御雷之男神(タケミカヅチノオ)の「ヅチノオ」と同義と言える。
各神名は次のように解釈できる。
・海の底で底津少童命と共に生まれた底筒男命は「底(海底)の男神」
・潮の中で中津少童命と共に生まれた中筒男命は「中(海中)の男神」
・潮の上で表津少童命と共に生まれた表筒男命は「上(海上)の男神」
・火折尊が海神の宮へ行くのを助けた塩筒老翁は「潮の男神」
・宵の明星の別名「ゆうつづ」は「夕の神」
つまり「ゆうつづ」とは、宵の明星の神の名前と考えられる。
昼の女神、月夜の神、夕の神
【速の章/補足 大日孁貴、月読尊、蛭児の意味】で前述した「オオヒルメノムチ=大いなる昼の女神」や「ツクヨミ=月夜の神」と同様に、「ユウツヅ=夕の神」は天体が時間帯に言い換えられた神名と考えられる(日→昼、月→月夜、宵の明星→夕)。
『万葉集』には「月」を「ツクヨミ」という神名で言い表している歌が多くある。
・巻第四、六七〇番歌
月読の 光に来ませ あしひきの 山きへなりて 遠からなくに
・巻第四、六七一番歌
月読の 光は清く 照らせれど 惑へる心 思ひあへなくに
・巻第七、一〇七五番歌
海原の 道遠みかも 月読の 光少なき 夜は更けにつつ
・巻第一五、三五九九番歌
月読の 光を清み 神島の 磯廻の浦ゆ 船出す我は
・巻第一五、三六二二番歌
月読の 光を清み 夕なぎに 水手の声呼び 浦廻漕ぐかも
これらと同様に「宵の明星」を「ユウツヅ」という神名で言い表していたものと考えられる。
まとめ
・宵の明星を「夕星」とも言うことから、ツツ、ツヅは星の意とする説があるが、神名中の「ツツ」は別名では「ツチ」となっている例が多く、これと同義。
・つまり「ツツ」は連体助詞の「ツ」+神名末尾のパターン「チ」がウ段に変化した「ツ」。
・「ゆうつづ」は「夕の神」の意。これは「オオヒルメノムチ=大いなる昼の女神」や「ツクヨミ=月夜の神」と同様の言い換え(日→昼、月→月夜、宵の明星→夕)。