流星と昴の日本神話
櫛の章

補足 アシナヅチ、テナヅチの意味

アシナヅチは「葦と稲の神」の意。テナヅチは夫のアシナヅチの名から作られた対となる神名。

 

「少女の手足を撫でているによる名」ではない

【櫛の章/奇稲田姫】で前述した奇稲田姫(クシイナダヒメ)の父はアシナヅチ、母はテナヅチという。『古事記』では足名椎(アシナヅチ)手名椎(テナヅチ)、『日本書紀』では脚摩乳(アシナヅチ)手摩乳(テナヅチ)と表記する。

坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋(おおのすすむ)校注『日本古典文学大系67 日本書紀 上』(岩波書店、一九六七年)では脚摩乳の注釈において「少女の手足を撫でているによる名」としている。

確かに『日本書紀』神代上第八段本文には脚摩乳(アシナヅチ)手摩乳(テナヅチ)が少女(奇稲田姫(クシイナダヒメ))を()でつつ()く話がある。しかし、足名椎(アシナヅチ)手名椎(テナヅチ)と表記する『古事記』にはこのような話はない。

『日本書紀』に収録された神話においてはアシナヅチ、テナヅチという名に脚摩乳(アシナヅチ)手摩乳(テナヅチ)という漢字が当てられ、(ナヅ)という字からの連想により少女を()でる話が作られたが、『古事記』の神話においては(ナヅ)という字は使われなかったので少女を()でる話は作られなかったと考えられる。

アシナヅチ、テナヅチは「少女の手足を撫でているによる名」ではないということになる。

 

晩生(おくて)の稲の精霊、早稲(わせ)の精霊」ではない

国語学者の西宮一民は、西宮一民校注『新潮日本古典集成 古事記』(新潮社、一九七九年)の「付録 神名の釈義」において、アシナヅチ、テナヅチの神名を次のように解釈した。

 

足名椎(あしなづち)

名義は「晩生(おくて)の稲の精霊」。「足名」は「浅稲(あさいな)」の約「あしな」。「(あさ)」は「(おそ)」と同源の語で、遅く実る稲(晩稲(おくて))の意。次項の「手名椎(てなづち)」(早稲(わせ))の対。「椎」は「づ(連体助詞)」ち(精霊)」の意。

手名椎(てなづち)

名義は「早稲(わせ)の精霊」。「手名」は「速稲(といな)」の約「てな」。早く実る稲は「早稲(わせ)」である。前項の「足名椎(あしなづち)」(晩稲(おくて))の対。

 

この解釈には、それが単なるこじつけではないということを示す根拠・裏付けが無い。例えば何々であるからこのように解釈できる、といった記述が無い。浅稲(あさいな)速稲(といな)という言葉は無く、アシナヅチ、テナヅチに晩稲(おくて)早稲(わせ)に関する神話があるわけでもない。

西宮一民はこの「付録 神名の釈義」において『古事記』に登場する全ての神名の解釈を行っているが、冒頭に「名義未詳のものでも必ず一案を出すことに努めた」と記しており、このような根拠・裏付けの無い解釈が多い。

 

足無の霊(アシナツチ)手無の霊(テナツチ)」ではない

民俗学者の吉野裕子(よしのひろこ)は『日本人の死生観 蛇信仰の視座から』(講談社、一九八二年)において「山津見(ヤマツミ)」を「山の蛇(ヤマツミ)」の意と解釈し、これにより大山津見(オオヤマツミ)神やその子、足名椎(アシナヅチ)は蛇であり、足無の霊(アシナツチ)手無の霊(テナツチ)という名は手足がない蛇であることを物語っていると述べている。

しかし「山津見(ヤマツミ)」の「()」は神名末尾のパターンであり、上代特殊仮名遣(かなづかい)における甲類のミである。これに対して蛇を意味する「()」は乙類のミであるため、「山津見(ヤマツミ)」は「山の蛇(ヤマツミ)」とは解釈できず、この説は成り立たない。

 

アシナヅチの意味

では、アシナヅチ、テナヅチとは何を意味しているのか。

まず、アシナヅチの神名について末尾から解釈してゆく。

「チ」は神名末尾のパターンであり、古語で「〜の」を意味する格助詞の「ツ」が前につくと「ツチ」となる(軻遇突智(カグツチ)武甕槌(タケミカヅチ)神など)。

するとアシヅチの「ナ」は、古語で「〜の」を意味する格助詞の「ナ」では無いことが分かる。もしそうなら「〜の」を意味する格助詞が連続することになってしまい、文法としておかしいためである。

この「ナ」は、娘が奇稲田姫(クシイナダヒメ)という名であり、アシナヅチ自身も稲田宮主須賀之八耳(イナダミヤヌシスガノヤツミミ)神という別名を持つことから「イナ(稲)」の変化と解釈できる。

娘の奇稲田姫(クシイナダヒメ)(クシイナダヒメ)が櫛名田比売(クシナダヒメ)(クシダヒメ)とも言うように、序文で述べた上代の母音連続を避ける傾向により変化したものと考えられる。

そしてアシナヅチの「アシ」は、葦那陀迦(アシナダカ)神、葦原色許男(アシハラシコオ)神、可美葦牙彦舅(ウマシアシカビヒコヂ)尊といった神名の例があることから「(あし)」の意と解釈できる。

日本神話では地上を葦原中国(あしはらのなかつくに)豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)と言うように葦は特別な植物である。葦の生える湿地は水田として開拓されてきた場所でもあり、葦と稲が共に出てくることにも不思議はない。

つまりアシナヅチはアシナヅチが変化したもので「葦と稲の神」と解釈できる。

 

テナヅチの意味

【櫛の章/奇稲田姫】で前述したように近縁の神には似た名前が付けられることがあるので、テナヅチという名はアシナヅチの妻であることに由来すると考えられる。

つまり、アシナヅチの「アシ」は「(あし)」に由来するが、これに語呂合わせで「足」の意を重ね、「アシ(足)」を「テ(手)」に変えて、アシナヅチの対となるテナヅチという神名が作られたものと考えられる。

 

まとめ

・アシナヅチはアシナヅチが変化したもので「葦と稲の神」の意。

・テナヅチは夫のアシナヅチのアシ(足)をテ(手)に変えて作られた対となる神名。

 

関連ページ

【石の章/磐裂神】……根裂(ネサク)神もテナヅチと同様に、夫の神名から作られた対となる神名。