流星と昴の日本神話

序文 星の神を祀る神社

 

星神

日本神話に星の神・星の神話は少ないと言われている。

歴史学者の上田正昭も著書『日本神話』(岩波書店、一九七〇年)において「日本神話のひとつの特徴は、夜空の天体についての認識がきわめてとぼしい点にある」と述べている。

確かに記紀(『古事記』と『日本書紀』)において「星神」と明記されているのは、『日本書紀』に登場する香香背男(カカセオ)(別名、天津甕星(アマツミカホシ)天香香背男(アマノカカセオ))だけである(【甕の章/天津甕星】で後述)。

しかし、あまり知られてはいないが、他にも多くの神が星の神として(まつ)られている。

 

天津赤星(アマツアカホシ)

先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』(平安時代初期成立)の天神本紀には天津赤星(アマツアカホシ)天都赤星(アマツアカホシ))という神が記されている(【火の章/補足 天津真浦の意味】で後述)。この神は福岡県の赤星神社(妙見宮(みょうけんぐう)、福岡県久留米市高良内町(くるめしこうらうちまち)759)で(まつ)られている。

 

天須婆留女命御玉(アマノスバルメノミコトノミタマ)

皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』(八〇四年成立)には天須婆留女命御玉(アマノスバルメノミコトノミタマ)という神が記されている。

皇大神宮(こうたいじんぐう)伊勢神宮内宮(いせじんぐうないくう))の摂社(せっしゃ)である棒原神社(すぎはらじんじゃ)(三重県度会郡玉城町上田辺字朝久田(わわたらいぐんたまきちょうかみたぬいあざなあさくだ)2466)の祭神であり、その神名から(すばる)(おうし座のプレアデス星団の和名)の女神と考えられる。

皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』には須麻留女神(スマルメノカミ)という神も記されている。日本語の子音のmとbは交替することがあり、「すばる」は「すまる」とも言うので、これも同神と考えられる。

神名におけるこのような交替の例としては、石凝姥(イシコリドメ)命(イシコリド)の別名、石凝戸辺(イシコリトベ)(イシコリト)や、豊斟渟(トヨクムヌ)尊(トヨクヌ)の別名、豊香節野(トヨカブノ)尊(トヨカノ)などが挙げられる。

延喜式(えんぎしき)』(九二七年成立)の巻第九、十に記載されている神社一覧を「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」と言い、これに記載されている神社を式内社という。この式内社の一つ、伊勢国(いせのくに)多気郡(たけのこおり)須麻漏売神社(すまるめじんじゃ)須麻留女神(スマルメノカミ)(まつ)る神社と考えられる。

 

名前に星が付く神社

星宮神社(ほしのみやじんじゃ)星神社(ほしじんじゃ)速星神社(はやほしじんじゃ)といった名前に星が付く神社は多数ある。栃木、千葉、茨城、高知に多く、特に栃木県には星宮神社(ほしのみやじんじゃ)が百六十社以上ある。これらの神社の一部では香香背男(カカセオ)(まつ)られているが、次のような神も(まつ)られており、これらの神も星の神と言える。

 

天御中主(アマノミナカヌシ)

磐裂(イワサク)神……【石の章/磐裂神】で後述。

根裂(ネサク)神……【石の章/磐裂神】で後述。

磐筒男(イワツツノオ)神……【石の章/磐筒男神、磐筒女神】で後述。

磐筒女(イワツツノメ)神……【石の章/磐筒男神、磐筒女神】で後述。

経津主(フツヌシ)神……【石の章/斎主神】で後述。

五百箇磐石(いおついわむら)……【石の章/五百箇磐石】で後述。

火瓊瓊杵(ホノニニギ)尊……【火の章/火瓊瓊杵尊】で後述。

甕速日(ミカハヤヒ)神……【速の章/甕速日神】で後述。

饒速日(ニギハヤヒ)命……【速の章/饒速日命】で後述。

富能加比売(ホノカヒメ)命……【火の章/肥長比売】で後述。

 

なお、五百箇磐石(いおついわむら)(まつ)速星神社(はやほしじんじゃ)(富山県富山市婦中町速星(とやましふちゅうまちはやほし)231―10)は式内社だが、名前に星が付く神社のほとんどは式内社ではない。

また、北極星や北斗七星とされる妙見菩薩(みょうけんぼさつ)や、明星(みょうじょう)とされる虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)(明星天子)を元は(まつ)っていたが明治の神仏分離(しんぶつぶんり)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)のため星の神を祀る神社となったところが多いようである。

 

天御中主(アマノミナカヌシ)

これらの星の神のうち、天御中主(アマノミナカヌシ)尊は神名が「天の真ん中の神=天の北極の神」と解釈できるため、北極星や北斗七星とされる妙見菩薩(みょうけんぼさつ)と同一視された。しかし天御中主(アマノミナカヌシ)尊に関する神話上の記述は乏しいため、この神が本来、天の北極や当時の北極星に由来する神であったかは不明である。

 

磐裂(イワサク)神、根裂(ネサク)神、磐筒男(イワツツノオ)神、磐筒女(イワツツノメ)神、経津主(フツヌシ)

磐裂(イワサク)神、根裂(ネサク)神、磐筒男(イワツツノオ)神、磐筒女(イワツツノメ)神、経津主(フツヌシ)神については、卜部兼方(うらべかねかた)編『釈日本紀(しゃくにほんぎ)』(『日本書紀』の注釈書。鎌倉時代成立)などに引用されている『天書』の逸文(いつぶん)(他の書物に引用されて断片的に伝わっている文章)に次のように記されている。

 

気が化して神となった。名づけて磐裂(イワサク)といい、これを歳星(さいせい)(木星)の精という。

磐裂(イワサク)根去(ネサク)根裂(ネサク))を生んだ。これを熒惑(けいこく)(火星)の精という。

根去(ネサク)磐筒男(イワツツノオ)を生んだ。これを太白(たいはく)(金星)の精という。

磐筒男(イワツツノオ)磐筒女(イワツツノメ)を生んだ。これを辰星(しんせい)(水星)の精という。

磐筒女(イワツツノメ)経津主(フツヌシ)を生んだ。これを鎮星(ちんせい)(土星)の精という。

 

『日本書紀』での生まれ方とは異なっており、また各惑星に対応させる独自の解釈も妥当とは考えていないが、鎌倉時代においてもこれらの神は星の神(星の精)とされていたことがわかる。

 

五百箇磐石(いおついわむら)

では、なぜ磐裂(イワサク)神、根裂(ネサク)神らは星の神とされているのか。

日本神話では伊奘諾(イザナキ)尊と伊奘冉(イザナミ)尊の夫婦神によって日本の国土や様々な神々が生み出されるが、火の神・軻遇突智(カグツチ)が生まれた際に伊奘冉(イザナミ)尊は軻遇突智(カグツチ)の火に焼かれて亡くなってしまう。

これを悲しんだ伊奘諾(イザナキ)尊が軻遇突智(カグツチ)を剣で斬ると、剣から飛び散った軻遇突智(カグツチ)の血が磐の群れに付き、そこから磐裂(イワサク)神、根裂(ネサク)神らが生まれたという。

この磐の群れ(磐群(いわむら))を『古事記』では湯津石村(ゆついわむら)と言う。『日本書紀』では五百箇磐石(いおついわむら)と言い、天安河辺(あまのやすのかわら)にあるとされる。一条兼良『日本書紀纂疏(にほんしょきさんそ)』(『日本書紀』神代巻の注釈書。室町時代、十五世紀成立)では天安河(あまのやすのかわ)河漢(かかん)(夜空の天の川)、五百箇磐石(いおついわむら)星辰(せいしん)(星)と解釈されている。

これは妥当な解釈と考えているが、さらに言えば、この神話は「火の神の血」が「磐の群れ」に付くことで「火のように輝く磐の群れ」つまり「星の群れ」となる神話と考えられる。

磐裂(イワサク)神、根裂(ネサク)神らはこの「星の群れ」から生まれた神であり、五百箇磐石(いおついわむら)はこの「星の群れ」そのものである。これらの神が星の神とされているのはこのためと考えられる。

 

星が落ちれば石となる

中国では司馬遷(しばせん)編纂(へんさん)した『史記(しき)』(紀元前九一年頃成立)の秦始皇本紀に「星が東郡に墜ち、地に至ると石となった」、『史記(しき)』天官書には「星が墜ちて地に至ると石である」と記されている。

日本においても、奈良時代初期に編纂(へんさん)された『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』(七一三〜七一五年頃成立)揖保郡(いいぼのこおり)阿豆村(あつのむら)の条に「昔、天に二つの星があり、地に落ちて石となった」と記されている。

つまり古代においても隕石は知られており、降ってきた星を見てみれば石だったのであるから、古代の人が星を「火のように輝く石・磐」と考えるのはごく自然な考え方である。

 

火石(ほいし)

また、(ほし)の語源を「火石(ほいし)」とする説もある(谷川士清(たにかわことすが)編『倭訓栞(わくんのしおり)』一七七七~一八八七年、松岡静雄編『日本古語大辞典』一九二九年など)。

上代(古代前期、奈良時代以前)においては母音の連続を避ける傾向が強く、母音のオとイが連続している「ほし」が「ほし」となるのは自然な変化であり、妥当な説と考えている。

なお、神名におけるこのような変化の例としては、天津真浦(アマツマウラ)(アマツマラ)の別名、天津麻羅(アマツマラ)(アマツマラ)や、豊受(トヨウケ)大神(トヨケ)の別名、等由気(トユケ)大神(トユケ)などが挙げられる。

 

天の川・からすき星・(すばる)・流星の神話

天安河(あまのやすのかわ)(天の川)が登場する次の三つの神話は、いずれも「からすき星(オリオン座の三つ星の和名)」と「(すばる)」から流星の神が生まれる神話と考えられる。

 

天安河(あまのやすのかわ)をはさんで行われた天照(アマテラス)大神と素戔嗚(スサノオ)尊の誓約(うけい)で、素戔嗚(スサノオ)尊の剣と天照(アマテラス)大神が持つ五百箇御統(いおつのみすまる)御統(みすまる)は穴を開けた玉を()で連ねて輪にした装飾品)から神を生み出す神話。

・名前から五百箇御統(いおつのみすまる)は「(すまる)」、素戔嗚(スサノオ)尊の剣(蛇韓鋤之剣(おろちのからすきのつるぎ))は「からすき星」。

・詳細は【速の章/補足 天照大神と素戔嗚尊の誓約の意味】で後述。

 

伊奘諾(イザナキ)尊の剣(伊都之尾羽張(いつのおはばり))から飛び散った火の神・軻遇突智(カグツチ)の血が、天安河辺(あまのやすのかわら)にある五百箇磐石(いおついわむら)湯津石村(ゆついわむら))に付いて神が生まれる神話。

天安河辺(あまのやすのかわら)にある五百箇磐石(いおついわむら)は、天の川近辺にある星の群れである「(すばる)」。

伊奘諾(イザナキ)尊の剣は、素戔嗚(スサノオ)尊の剣と同様、(すばる)と共に神を生み出すので「からすき星」。

・詳細は【速の章/熯速日神】【玉の章/補足 伊奘諾尊の剣の意味】で後述。

 

天安河(あまのやすのかわ)の河上の天岩戸(あまのいわと)に住む、伊奘諾(イザナキ)尊の剣の神とその子・孫・曽孫の神話。

天安河(あまのやすのかわ)の河上の天岩戸(あまのいわと)は、天の川の幅が河上のように狭い所の近辺にある「(すばる)」。

伊奘諾(イザナキ)尊の剣の神(伊都之尾羽張(イツノオハバリ)神、稜威雄走(イツノオバシリ)神)は、剣と同じく「からすき星」。

・詳細は【速の章/補足 天岩戸、天安河の河上の意味】【玉の章/補足 伊奘諾尊の剣の意味】で後述。

 

天の川・からすき星・昴
天の川・からすき星・昴
Adapted from "Orion, Taurus and Pleiades"
by Panda~thwiki, used under CC BY 4.0
からすき星と昴から生まれた流星の神
からすき星と昴から生まれた流星の神

この三つの神話において、からすき星と(すばる)から生まれた神には天降る神も多く、つまりは天降る星の神=流星の神と考えられる。流星を星の子に見立てた神話とも言える。

甕速日(ミカハヤヒ)神、武甕槌(タケミカヅチ)神は二つの神話に、熯速日(ヒノハヤヒ)神は三つの神話全てに共通して登場しており、三つの神話が同種の神話であることを裏付けている。また三つの神話全てが「からすき星」を男性器に、「(すばる)」を女性器に見立てた神話となっているという点においても同種の神話と考えられる。

 

流星の神の名前

日本神話に含まれているこのような星の神話を調べてゆくと、流星の神と考えられる神はさらに増えてゆき、また、これらの流星の神の神名は似通っていた。「(ハヤ)」「(クシ)」「(ミカ)」「(タマ)」「(ヒ、ホ)」「(イシ)」「(イワ)」が含まれている事が多いのである。ただし表記に使われる漢字は違うこともある。

これらの神名中の「(ハヤ)」は流星の速さを形容したもの、「(クシ)」「(ミカ)」は流星(火球)を竪櫛(たてぐし)(みか)に見立てたもの、「(タマ)」「(ヒ、ホ)」「(イシ)」「(イワ)」は星を玉・火・石・磐に見立てたものと考えられる。

その根拠として【速の章】【櫛の章】【甕の章】【玉の章】【火の章】【石の章】の各章では、これらが神名に付く神々の多くが流星の神と考えられる神話を持つことを示してゆく。

つまりは火球(特に明るい流星。満月より明るいこともある)や隕石落下に遭遇した古代の人たちが、それを「天降る神が()()く星」と考え、畏れ、そのため「流星(火球)」や「星」に由来する神名・神話が作られたものと考えられる。

 

火瓊瓊杵(ホノニニギ)

栃木県の星宮神社(ほしのみやじんじゃ)のうち十二社で(まつ)られている星の神・火瓊瓊杵(ホノニニギ)尊は、前述した天照(アマテラス)大神と素戔嗚(スサノオ)尊の誓約(うけい)で生まれた正哉吾勝勝速日天忍穂耳(マサカアカツカチハヤヒアマノオシホミミ)尊の子である。また、高皇産霊(タカミムスヒ)尊が天岩戸を引き開けて火瓊瓊杵(ホノニニギ)尊を天降らせたという神話もある。

地上へ天降って天皇家の祖となったとされ、つまりは天降る星の神=流星の神と考えられる。

その別名、天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵(アメニギシクニニギシアマツヒコホノニニギ)尊には、星を意味する「()」「()」が含まれている。

 

饒速日(ニギハヤヒ)

また、愛知県の星大明神社(ほしだいみようじんしゃ)星大明社(ほしだいみょうしゃ)などで(まつ)られている星の神・饒速日(ニギハヤヒ)命は、櫛玉饒速日(クシタマニギハヤヒ)命、胆杵磯丹杵穂(イキシニギホ)命とも言い、その神名には「(ハヤ)」「(クシ)」「(タマ)」「()())」「()())」が含まれている。

饒速日(ニギハヤヒ)命もまた天降る神であり、その天降る際に乗ったとされる天磐船(あまのいわふね)は、流星(隕石)を「天降る神が()()く星」と考え、それを「天降る神が乗る磐の船」に見立てた神話と考えられる。

 

日本神話には他にも流星や(すばる)に由来する神が数多く登場していると考えられる。そのことを示すのが本書の目的である。