流星と昴の日本神話
速の章

甕速日神

五百箇磐石(いおついわむら)湯津石村(ゆついわむら))=(すばる)」から生まれた流星の神。星宮神社、星神社の祭神。

 

五百箇磐石(いおついわむら)湯津石村(ゆついわむら))=(すばる)」から生まれた流星の神

甕速日(ミカハヤヒ)神(ミカハヤヒ)もまた前項で述べたように『古事記』において「五百箇磐石(いおついわむら)湯津石村(ゆついわむら))=(すばる)」から生まれている。

【速の章/正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊】で前述したように「流星は(すばる)から来る」という考え方があったと思われるので、天忍穂耳(アマノオシホミミ)尊や熯速日(ヒノハヤヒ)神と同様に(すばる)から生まれた流星の神と考えられる。

 

星宮神社、星神社の祭神

実際、甕速日(ミカハヤヒ)神は名前に星が付く次の神社で(まつ)られている。

 

・星宮神社(栃木県芳賀郡芳賀町大字芳志戸(はがぐんはがまちおおあざほうしと)1937)

・星神社(岡山県岡山市北区真星(おかやましきたくまなぼし)1615)

 

岡山県岡山市北区真星(おかやましきたくまなぼし)の星神社の縁起(えんぎ)によれば、天から三つの星が落ち、これを甕速日(ミカハヤヒ)神が地上に降臨した(しるし)として宮を建てて(まつ)ったという。甕速日(ミカハヤヒ)神が流星の神であることを裏付けるものと言える。

 

雲陽誌(うんようし)』に記された星の神

また、江戸時代に出雲の松江藩で編纂(へんさん)された地誌『雲陽誌(うんようし)』(一七一七年成立)の島根郡 春日 松崎神社の条においても「当社の祖神を甕速日といふ星の神と名つく、古語に星隕て石となるといへり」と記されている。「当社の祖神」とあるのは、松崎神社の祭神が武甕槌(タケミカヅチ)神であり、『日本書紀』神代上第五段一書第六においては、甕速日(ミカハヤヒ)神は武甕槌(タケミカヅチ)神の祖とされているためである。

 

「天岩戸=(すばる)」から生まれた神

なお、『日本書紀』神代下第九段本文においては、天石窟(あまのいわや)(天岩戸)に住む稜威雄走(イツノオバシリ)神の子が甕速日(ミカハヤヒ)神、その子が熯速日(ヒノハヤヒ)神、その子が武甕槌(タケミカヅチ)神とされる。

これは甕速日(ミカハヤヒ)神が「天岩戸=(すばる)」から生まれた神でもあることを意味するが、これについては【玉の章/補足 伊奘諾尊の剣の意味】で後述する。

 

各文献における名前

・『古事記』……甕速日(ミカハヤヒ)

・『日本書紀』……甕速日(ミカハヤヒ)神、甕速日(ミカハヤヒ)

・『古語拾遺(こごしゅうい)』……甕速日(ミカハヤヒ)

・『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』……天尾羽張(アマノオハバリ)神、稜威雄走(イツノオバシリ)神、甕速日(ミカハヤヒ)神、熯速日(ヒノハヤヒ)神、槌速日神

 

前項で述べたように『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』陰陽本紀では、天尾羽張(アマノオハバリ)神の別名を稜威雄走(イツノオバシリ)神、甕速日(ミカハヤヒ)神、熯速日(ヒノハヤヒ)神、槌速日神と記している。

つまり『日本書紀』神代下第九段本文における稜威雄走(イツノオバシリ)神(『古事記』では天尾羽張(アマノオハバリ)神)、その子の甕速日(ミカハヤヒ)神、その子の熯速日(ヒノハヤヒ)神(『古事記』では樋速日(ヒハヤヒ)神)を同神とみなした上、樋速日(ヒハヤヒ)神を槌速日神と誤写している。

 

神名解釈

神名解釈については【甕の章/甕速日神】で後述する。

 

まとめ

・甕速日神(ミカハヤヒ)……(すばる)から生まれた流星の神

・「五百箇磐石(いおついわむら)湯津石村(ゆついわむら))=(すばる)」から生まれている。

・「流星は(すばる)から来る」ので、つまり流星の神。

・星宮神社、星神社で(まつ)られている。

・星神社の縁起(えんぎ)でも三つの星が落ちたため(まつ)ったとされる。

・松江藩の地誌『雲陽誌(うんようし)』においても星の神と記されている。

 

関連ページ

【速の章/熯速日神】……五百箇磐石(いおついわむら)湯津石村(ゆついわむら))=(すばる)

【甕の章/甕速日神】……甕速日(ミカハヤヒ)神の神名解釈。

【玉の章/補足 伊奘諾尊の剣の意味】……天岩戸に住む稜威雄走(イツノオバシリ)神の意味。