三炊屋媛
流星の神・饒速日命の妻。「三炊」は流星を意味する「甕」と地名の「磯城」の意。
饒速日命の妻
三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)は、神武天皇と戦った長髄彦の妹で、饒速日命の妻、可美真手命(別名、宇摩志麻遅命)の母である。
各文献における名前
・『古事記』……登美夜毘売
・『日本書紀』……三炊屋媛、長髄媛、鳥見屋媛
・『先代旧事本紀』……御炊屋姫、御炊屋媛
神名解釈
三炊屋媛の別名、鳥見屋媛の「鳥見」は地名であり、『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年十二月の条に、鵄邑という地名がなまったものとある(つまり序文で述べた子音のmとbが交替したもの)。兄の長髄彦も『古事記』では登美能那賀須泥毘古、または登美毘古と記されている。
そして三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)の「シキ」もまた、地名の「磯城」と考えられる。
鳥見(鵄邑)は奈良県桜井市外山のあたり(鳥見山や等彌神社がある)とする説があり(本居宣長『古事記伝』一七九八年など)、そしてここは古代に「磯城」と呼ばれていた地域に含まれているためである。
つまり「三炊」とは「甕磯城」で、流星を意味する「甕」と地名の「磯城」の意と解釈できる。
三炊屋媛が本章冒頭で述べた「ミカ」が付く流星の神の名を持つのは、【速の章/饒速日命】で前述した流星の神・饒速日命の妻であることに由来すると考えられる。
「乙類のキ」から「甲類のキ」への変化
なお、上代特殊仮名遣において磯城のキが「乙類のキ」であるのに対し、三炊屋媛のキは「甲類のキ」という違いがあり、この点について疑問に思われるかもしれない。
これについては【甕の章/天御梶日女命】で前述した味耜高彦根神の神名において、「乙類のキ」から「甲類のキ」へ変化したとみられる事例がある。
味耜高彦根神は『古事記』では阿遅志貴高日子根神とも言い、「貴」は「乙類のキ」である。
これに対して『日本書紀』においては、神代下第九段本文において「味耜、此を婀膩須伎と云う」と分注が記されており、「伎」は「甲類のキ」である。また同段一書第一の下照媛の歌の原文では「阿泥素企多伽避顧禰」と表記されており、この「企」も「甲類のキ」である。
【櫛の章/櫛真智命】で前述したようにウ段に変化する例は多いので、阿遅志貴高日子根神の「シキ(キは乙類)」から味耜高彦根神の「スキ(キは甲類)」へ変化したと考えられる。
磯城の「乙類のキ」と三炊屋媛の「甲類のキ」の違いについても、これと同様に「乙類のキ」から「甲類のキ」へ変化したと考えるのが妥当と思われる。
皇族の名前中のシキ・スキ
次に挙げる皇族についても三炊屋媛と同様に、名前中の「シキ・スキ(キは甲類)」が「磯城」に由来すると考えられる。
・神武天皇の皇后・富登多多良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすきひめ)
・父が三輪山の神・大物主神。狭井河のほとりに住んでいた。三輪山も狭井河も磯城。
・大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとも)(懿徳天皇)
・父が磯城津彦玉手看天皇(安寧天皇)、同母弟が磯城津彦命。
・豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)
・父が崇神天皇。崇神天皇は磯城に都を置いた。
・五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこ)
・父が垂仁天皇。垂仁天皇は磯城に都を置いた。
・渟中倉太珠敷天皇(ぬなくらふとたましき)(敏達天皇)
・父が磯城嶋天皇(欽明天皇)。父も自身も磯城に都を置いた。
・豊御食炊屋姫天皇(とよみけかしきやひめ)(推古天皇)
・父が磯城嶋天皇(欽明天皇)、異母兄の夫が敏達天皇。父も夫も磯城に都を置いた。
「磯城(キは乙類)」から「シキ・スキ(キは甲類)」への変化は容易に起こり得ることがわかる。
神武天皇の歌の中のシキ
また、『古事記』神武天皇の段には、神武天皇が前述の富登多多良伊須須岐比売命の家に泊まったことについて詠んだとされる次のような歌が記されている。
阿斯波良能 志祁志岐袁夜邇 須賀多多美 伊夜佐夜斯岐弖 和賀布多理泥斯
葦原の しけしき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我が二人寝し
「しけしきをやに」「いやさやしきて」と「シキ(キは甲類)」が繰り返されているが、これは富登多多良伊須須岐比売命の家がある「磯城」の掛詞と考えられる。この場合もやはり「磯城(キは乙類)」から「シキ(キは甲類)」への変化が起こっていることがわかる。
まとめ
・三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)……流星の神の妻
・【速の章/饒速日命】で前述した流星の神・饒速日命の妻。
・別名、鳥見屋媛。鳥見は磯城にある地名で、「三炊」は「甕」と「磯城」の意。
・皇族の富登多多良伊須須岐比売命、大日本彦耜友天皇、豊鍬入姫命、五十瓊敷入彦命、渟中倉太珠敷天皇、豊御食炊屋姫天皇も同様に、名前中のシキ・スキは磯城に由来。
関連ページ
・【甕の章/天御梶日女命】……味耜高彦根神について。