補足 フツの意味
天降る神・剣・鏡の名に付く「フツ」は「降る神=流星」の意。「物を断つ音」の意ではない。
神名にフツが付く神
最後に天降る神・剣・鏡の名に付く「フツ」の意味について解釈する。
【甕の章/武甕槌神】では武甕槌神が流星の神と考えられることを前述しているが、この武甕槌神には建布都神(タケフツ)、豊布都神(トヨフツ)という別名がある。
【甕の章/甕布都神】では武甕槌神の剣である韴霊(布都御魂、フツノミタマ)、別名、佐士布都神(サジフツ)、甕布都神(ミカフツ)も流星の神と考えられることを前述している。
なお、井乃香樹『神武天皇紀』(山雅房、一九三九年、一四六頁)や飯田道夫『庚申信仰 庶民宗教の実像』(人文書院、一九八九年、一二一頁)では、佐士布都神の佐士は佐比の間違いとしており、妥当な説と考えている。「さひ」は古語で「刀の類」(『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、一九六七年)を意味する。
【石の章/斎主神】では経津主神(フツヌシ)も流星の神と考えられることを前述している。
【甕の章/撞賢木厳之御魂天疎向津媛命】では八咫鏡が「天岩戸=昴」の神であり流星の神でもある「昴と流星の神」と考えられることを前述している。この八咫鏡の別名を真経津鏡(マフツノカガミ)と言うことが『日本書紀』神代上第七段本文に記されている。
つまりこれら神名に「フツ」が付く神はいずれも流星の神と考えられる。
「フツは物を断つ音」ではない
江戸時代の国学者・本居宣長は『古事記伝』(一七九八年)において次のように述べている。
布都御魂 書紀に、韴霊と書て、此ヲ云二赴屠能瀰哆磨ト一とあり。韴ノ字、広韻玉篇などに、断声と注せる意を以て、用ひられたるなるべし。今の世の言にも、物の残なく清く断れ離るゝ貌を、布都と云り。〔布都理など云り。狭衣に、ふつと見はなつ。ともあり。〕然れば此剣の利して、物を清く断離つ意を以称へつる御名なるべし。〔上巻に見えたる建布都ノ神・豊布都ノ神。又、此の佐士布都・甕布都。又、書紀の経津主ノ神などの布都、みな一つなり。〕
つまり、本居宣長は韴霊の「韴」の字義が中国の字書『広韻』『玉篇』などに「断声」と書かれているので、この意味で神名に用いられたものと解釈した。
また、物が完全に切断されるさまを「ふつ」と言い、「ふっつり」などとも言うので、韴霊とは、剣が鋭利で物を完全に切断することを意味する神名と解釈し、建布都神、豊布都神、佐士布都神、甕布都神、経津主神などの「フツ」もみな同じとした。
たしかに古語の「ふっつり」は「物を断つ音。ぷっつり。ぶっつり」(『古語大辞典』小学館、一九八三年)を意味する。
しかし、「フツ」をこのような意味と解釈すると、「豊」は古語で「ゆたかなこと」(『時代別国語大辞典 上代編』)の意であるため、豊布都神は「豊かなぷっつりの神」という何が豊かなのか意味不明な無理のある解釈となる。
また、剣である韴霊(布都御魂)や剣神ともされる武甕槌神、経津主神はまだしも、真経津鏡の「フツ」については「物を断つ音。ぷっつり。ぶっつり」と解釈するのは無理がある。
この点について本居宣長は真経津鏡を「真太鏡なり」「太は称辞」と解釈して回避しているが、それでも豊布都神の解釈において無理は残る。
そして【速の章/補足 大日孁貴、月読尊、蛭児の意味】で前述したように神名の漢字表記は当て字の場合も多いので、「韴」の字の意味とフツノミタマの「フツ」の意味が同じとは限らない。
「フツは朝鮮語」ではない
韴霊(布都御魂)は武甕槌神が神武天皇への助けとして、自らが天降る代わりに地上へ降した剣であり、石上神宮に祭神として祀られている。
真経津鏡(八咫鏡)は天照大神がこの鏡を我が御魂として我と同様に祀れと言い、天降る火瓊瓊杵尊に授けられて地上へもたらされた鏡であり、皇大神宮(伊勢神宮内宮)に御神体として祀られている。
このような点から神話学者の三品彰英は「フツノミタマ考―刀剣文化の伝来と日鮮建国神話の研究―」(『三品彰英論文集 第二巻 建国神話の諸問題』平凡社、一九七一年、二六八~二六九頁)において次のように述べている。
フツは光あるいは神霊の降臨することと何か深い関係のある語ではあるまいかと考える。(中略)この「真フツノ鏡」のフツまでを、名剣とかプッツリと切れ味のよい意味とか解することはできないであろう。このフツノ神鏡は、大神の「専ら我が御霊なり」とことよさし給えるがごとく、天神の霊が降り憑ります霊形であり、一面光を表象した神器であって、この意味において、「真フツノ鏡」は「フツノミタマ」の霊剣と同一の本質を持つものであり、この共通する本質から、共通する名称「フツ」の意味が解釈さるべきである。ここにおいて、フツは「光の降臨」という宗教的観念と不可分な関係にある言葉であらねばならないという確かな予測を持つことができる。(中略)「フツ」「フル」の同系語として、韓語の불 pur(火)・붉 purk(赤・赫)밝 park(明)——借字として古く発・伐・弗などが用いられている——を想起せざるを得ない。
「フツ」を光・神霊の降臨に関係する言葉と考える点については、後述する理由から同意できる。しかし朝鮮語を持ち出してくる必要は無く、「フツ」は日本語として解釈できる。
フの意味
まず「フツ」の「フ」は次の点から「降る」の語幹(活用語尾を除いた部分)と考えられる。
・前述した名前にフツが付く神・剣・鏡はいずれも天から地上へ「降る」神・剣・鏡である。
・武甕槌神(建布都神、豊布都神)……葦原中国(地上)の平定のため天降る神。
・韴霊(布都御魂、佐士布都神、甕布都神)……武甕槌神が地上へ降した剣。
・経津主神……葦原中国(地上)の平定のため天降る神。
・八咫鏡(真経津鏡)……天降る火瓊瓊杵尊に授けられて地上へもたらされた鏡。
・武甕槌神が地上へ降した韴霊(布都御魂)を祭神として祀る石上神宮は、布留山の高台に鎮座し石上振神宮とも言うが、この「布留」「振」はつまり「降る」の意と考えられる。
【速の章/速素戔嗚尊】で前述した素戔嗚尊の神名に「すさぶ」の語幹の「すさ」が使われているのと同様と考えられる。
【石の章/補足 火瓊瓊杵尊の降臨地名の意味】で前述したように、火瓊瓊杵尊が天降った山は『古事記』では久士布流多気(くしふるたけ)、『日本書紀』神代下第九段一書第一では槵觸之峯(くしふるのたけ)とされるが、『薩摩国風土記』逸文では槵生峯(くしふのたけ)とされている。
これは「ふる」が「ふ」となり得ることを示す実例と言える。
楓は葉の形が蛙の手に似ていることから古くは蛙手(かへるで)と言われたものが楓(かへで)に変化したが、これと同様の変化とも言える。
【速の章/立速男命】で前述した立速男命の別名である速経和気命(ハヤフワケ)や【石の章/伊佐布魂命】で前述した伊佐布魂命(イサフタマ)の「フ」についても、いずれも天降る神であることから、やはり「降る」の意と考えられる。
ツの意味
また「フツ」の「ツ」については、「タケフツ」「トヨフツ」「ミカフツ」「サジフツ」といったように神名末尾につく例が多い。
この点から、【櫛の章/櫛真智命】で前述した「オオマドノチ→オオマドノツ」や、【櫛の章/補足 ユウツヅの意味】で前述した「シオツチノオヂ→シオツツノオヂ」などのように、神名末尾のパターン「チ」がウ段に変化して「ツ」となったものと考えられる。
「フツノミタマ」や「フツヌシ」については、「ミタマ」や「ヌシ」も神名末尾のパターンであるため、神名末尾のパターンが複数重なったものと理解できる。「マフツノカガミ」では末尾に付いていないが、これについては「マフツ」という神の鏡の意と理解できる。
フツの意味
このように「フ」は「降る」の語幹、「ツ」は神名末尾のパターンと考えられるので、「フツ」は「降る神」と解釈できる。
そして前述したように「フツ」が付く神はいずれも流星の神と考えられることから、つまりフツとは「流星」を「降る神」と表現したものと考えられる。これは確かに光・神霊の降臨に関係する言葉と言える。
これらの「フツ」が付く流星の神の名を解釈すると、
・「タケ」は古語の「猛し」つまり「勢いがあるさま」(『角川古語大辞典』角川書店、一九八二~一九九九年)の意。
・「豊」は古語で「ゆたかなこと」(『時代別国語大辞典 上代編』)の意。
・「ミタマ」「ヌシ」は神名末尾のパターン。
・「真」は古語で「純粋で美しい、完全で立派な、などの意味をそえるもの」(『時代別国語大辞典 上代編』)。
これにより次のように解釈できる。
・建布都神(タケフツ)は「勢いがある降る神」「勢いがある流星」
・豊布都神(トヨフツ)は「豊かな降る神」「豊かな流星」
・韴霊(布都御魂、フツノミタマ)は「降る神」「流星」
・佐士布都神(サジフツ)は佐比布都神の間違いで「刀のような降る神」「刀のような流星」
・甕布都神(ミカフツ)は「甕のような降る神」「甕のような流星」
・経津主神(フツヌシ)は「降る神」「流星」
・真経津鏡(マフツノカガミ)は「美しい降る神の鏡」「美しい流星の鏡」
まとめ
・【甕の章/武甕槌神】、【甕の章/甕布都神】、【石の章/斎主神】、【甕の章/撞賢木厳之御魂天疎向津媛命】で前述したように、神名に「フツ」が付く神は流星の神。
・「フツは物を断つ音」という解釈は、豊布都神や真経津鏡の場合に無理がある。
・「フ」は「降る」の語幹。「ツ」は神名末尾のパターン「チ」がウ段に変化したもの。
・つまり「フツ」は「降る神」の意で、「流星」を「降る神」と表現したもの。