流星と昴の日本神話
速の章

速素戔嗚尊

素戔嗚(スサノオ)尊の別名。日の神、月の神と共に生まれた天降る速い星の神=流星の神。

 

日の神、月の神と共に生まれた神

速素戔嗚(ハヤスサノオ)尊(ハヤスサノオ)は素戔嗚(スサノオ)尊の別名である。

伊奘諾(イザナキ)尊は妻の伊奘冉(イザナミ)尊が軻遇突智(カグツチ)の火に焼かれて亡くなった後、妻に会うために黄泉(よもつくに)(死者の国)へ行く。しかし姿を見ないでほしいという伊奘冉(イザナミ)尊の言葉を守らず、(うじ)()いている伊奘冉(イザナミ)尊の姿を伊奘諾(イザナキ)尊は見てしまう。これを恨んだ伊奘冉(イザナミ)尊に伊奘諾(イザナキ)尊は追いかけられ、黄泉(よもつくに)から逃げ帰る。

そして伊奘諾(イザナキ)尊が黄泉(よもつくに)(けが)れを落とすため、左目を洗った時に天照(アマテラス)大神が、右目を洗った時に月読(ツクヨミ)尊が、鼻を洗った時に素戔嗚(スサノオ)尊が生まれたとされる。

 

追放され天降る神

素戔嗚(スサノオ)尊は父の伊奘諾(イザナキ)尊の命に従わず、母のいる根国(ねのくに)底根之国(そこねのくに)とも言う。地底の国)へ行きたいと泣いてばかりいたため、怒った伊奘諾(イザナキ)尊に追放される。

素戔嗚(スサノオ)尊は根国(ねのくに)へ行く前に高天原(たかまのはら)(天上の国)を治める天照(アマテラス)大神に会いに行くが、国を奪いに来たのではないかと疑われる。このため、互いの持ち物(素戔嗚(スサノオ)尊の剣と天照(アマテラス)大神が持つ五百箇御統(いおつのみすまる))を交換してその物から互いに神を生み出し、生み出された神の性別によって悪意の有無を占う誓約(うけい)を行う。その結果、悪意は無いと判断される。

しかし素戔嗚(スサノオ)尊は、田のあぜを壊す、田に水を引く溝を埋める、祭殿を糞で汚す、逆剥(さかは)ぎにした天斑駒(あまのふちこま)服殿(はたどの)へ投げ入れる、など傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に振る舞う。怒った天照(アマテラス)大神は天岩戸に隠れ、世界は常闇(とこやみ)となってしまう。

その後、多くの神々の尽力により天照(アマテラス)大神が天岩戸から引き出されて騒動は解決する。そして素戔嗚(スサノオ)尊は高天原(たかまのはら)を追放されて葦原中国(あしはらのなかつくに)(地上の国)へ天降り、出雲国(いずものくに)八岐大蛇(やまたのおろち)退治を行う。またその後、根国(ねのくに)へ行ったともいう。

 

「嵐の神」「海の神」ではない

共に生まれた天照(アマテラス)大神、月読(ツクヨミ)尊、素戔嗚(スサノオ)尊は三貴子(みはしらのうずのみこ、さんきし)と称される。このうち天照(アマテラス)大神は日の神、月読(ツクヨミ)尊は月の神とされるが、素戔嗚(スサノオ)尊は嵐の神とも海の神とも言われる。

しかしこの「日・月・嵐」説や「日・月・海」説には不自然さを感じる方も多いのではないだろうか。「日」「月」ときて、あともう一つは何かと問えば、同様に天体である「星」というのが自然な答えと思われる。

 

「スサノヲは金星」ではない

この点から素戔嗚(スサノオ)尊を星の神と考える説はすでにある。

民族学者(民俗学者ではない)の大林太良(おおばやしたりょう)は「スサノヲは金星か」(松原孝俊・松村一男編『比較神話学の展望』青土社、一九九五年、48頁)において「アマテラス(太陽)、ツクヨミ(月)の末弟としてスサノヲが嵐では、どうも釣合いが取れないのではないか? やはり太陽や月のような天界の光体だと、あるいは元来はそうだったと、考えるべきではないか? こう考えてくると、候補として上がってくるのは金星である」としている。

しかし、素戔嗚(スサノオ)尊は高天原(たかまのはら)から追放されて天降る神であり、速素戔嗚(ハヤスサノオ)尊や建速須佐之男(タケハヤスサノオ)命など「速」が付く別名を持つ神でもある。このため金星ではなく、天降る速い星の神=流星の神と考えるのが妥当と思われる。

 

各文献における名前

・『古事記』……建速須佐之男(タケハヤスサノオ)命、速須佐之男(ハヤスサノオ)命、須佐能男(スサノオ)命、須佐之男(スサノオ)

・『日本書紀』……素戔嗚(スサノオ)尊、神素戔嗚(カムスサノオ)尊、速素戔嗚(ハヤスサノオ)尊、武素戔嗚(タケスサノオ)

・『出雲国風土記(いずものくにふどき)』……神須佐乃袁(カムスサノオ)命、須佐乎(スサノオ)命、伊弉奈枳乃麻奈子(イザナキノマナコ)坐熊野(クマノニマス)加武呂乃命(カムロノミコト)熊野(クマノ)大神、熊野(クマノ)大神命、須佐能袁(スサノオ)命、須佐袁(スサノオ)命、須作能乎(スサノオ)命、須佐能乎(スサノオ)命、神須佐能袁(カムスサノオ)命、神須佐乃乎(カムスサノオ)

・『備後国風土記(びんごのくにふどき)』逸文……速須佐雄(ハヤスサノオ)能神

・『古語拾遺(こごしゅうい)』……素戔嗚(スサノオ)

・『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』……素佐能雄(スサノオ)命、素戔烏(スサノオ)

・『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』……素戔烏(スサノオ)尊、建速素戔烏(タケハヤスサノオ)尊、速素戔烏(ハヤスサノオ)命、神素戔烏(カムスサノオ)尊、建素戔烏(タケスサノオ)尊、速素戔烏(ハヤスサノオ)

・「出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)」……伊射那伎乃日真名子(イザナキノヒマナコ)加夫呂伎(カブロキ)熊野大神櫛御気野(クシミケノ)

 

神名解釈

神名の素戔嗚(スサノオ)尊(スサノオ)を解釈すると、「スサ」は「すさぶ」の語幹(ごかん)(活用語尾を除いた部分)とする説がある。古語の「すさぶ」には「気の向くままに行動する」という意味があり、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な性格に合致するので妥当な説と考えている。そして「ノ」は助詞、「オ」は男神の神名末尾のパターン付録参照)と考えられるので、「気の向くままの男神」と解釈できる。

では、なぜ素戔嗚(スサノオ)尊は「気の向くままの男神」という神名・性格を持つのか。

恒星の出現・移動は規則的で予測可能だが、流星の出現・移動は不規則で予測不可能なので、流星は「気の向くままに行動する」ように見える星と言える。つまり「気の向くままの男神」という素戔嗚(スサノオ)尊の神名・性格は、流星の神であることに由来すると考えられる。

別名の櫛御気野(クシミケノ)命の神名解釈については【甕の章/櫛御気野命】で後述する。

 

まとめ

・速素戔嗚尊(ハヤスサノオ)……流星の神

素戔嗚(スサノオ)尊の別名。建速須佐之男(タケハヤスサノオ)命とも言う。

・日の神、月の神と共に生まれているので、同様に天体である星の神。

高天原(たかまのはら)から追放されて天降る神でもあるので、天降る速い星の神=流星の神。

・「スサノオ」は「気の向くままの男神」の意。性格にも合致する。

・これは流星が「気の向くままに行動する」ように見えることに由来。

 

関連ページ

【速の章/補足 天照大神と素戔嗚尊の誓約の意味】……素戔嗚(スサノオ)尊の剣=からすき星。

【櫛の章/櫛御気野命】……素戔嗚(スサノオ)尊の別名。

【櫛の章/奇稲田姫】……素戔嗚(スサノオ)尊の妻。

【甕の章/櫛御気野命】……素戔嗚(スサノオ)尊の別名、櫛御気野(クシミケノ)命の神名解釈。

【石の章/有功之神】……素戔嗚(スサノオ)尊の子の五十猛(イタケル)神(別名、有功之神)。

【石の章/補足 フツの意味】……フツの「フ」は「降る」の語幹(ごかん)