流星と昴の日本神話
石の章

磐余彦尊

神武(じんむ)天皇の別名。磐余(いわれ)石村(いわれ)湯津石村(ゆついわむら)(すばる)、いはれ=磐生(いはあ)れ=流星が生まれる場所=(すばる)の意。

 

神武(じんむ)天皇の別名

磐余彦(イワレヒコ)尊(イワレヒコ)は神武(じんむ)天皇の別名である。神武(じんむ)天皇は日向(宮崎)を船団で発して瀬戸内海を東へ進み、大和(奈良)を平定して初代天皇として即位したとされる。

 

各文献における名前

・『古事記』……神倭(カムヤマト)天皇、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイワレビコ)天皇、若御毛沼(ワカミケヌ)命、豊御毛沼(トヨミケヌ)命、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイワレビコ)

・『日本書紀』……神日本磐余彦火火出見(カムヤマトイワレヒコホホデミ)天皇、神日本磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)尊、狭野(サノ)尊、磐余彦(イワレヒコ)尊、神日本磐余彦火火出見(カムヤマトイワレヒコホホデミ)尊、磐余彦火火出見(イワレヒコホホデミ)尊、神日本磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)天皇、彦火火出見(ヒコホホデミ)始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)磐余彦(イワレヒコ)之帝

・『山城国風土記(やましろのくにふどき)逸文(いつぶん)……神倭石余比古(カムヤマトイワレヒコ)

・『摂津国風土記(せっつのくにふどき)逸文(いつぶん)……宇祢備可志婆良能宮(うねびかしはらのみや)御宇天皇

・『伊勢国風土記(いせのくにふどき)逸文(いつぶん)……神倭磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)天皇、畝傍橿原宮(うねびかしはらのみや)御宇神倭磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)天皇

・『古語拾遺(こごしゅうい)』……神武(じんむ)天皇

・『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』……神武(じんむ)神日本磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)天皇

・『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』……磐余彦(イワレヒコ)尊、橿原宮(かしはらのみや)御宇天皇

 

若御毛沼(ワカミケヌ)命、豊御毛沼(トヨミケヌ)

神武(じんむ)天皇の若御毛沼(ワカミケヌ)命(ワカミケヌ)、豊御毛沼(トヨミケヌ)命(トヨミケヌ)という別名について解釈すると、「ミケ」は【甕の章/櫛御気野命】で前述したように「ミカ」と同義で「流星」を「(みか)」に見立てたもの、「ヌ」は神名末尾のパターンと考えられるので、若御毛沼(ワカミケヌ)命は「若い流星の神」、豊御毛沼(トヨミケヌ)命は「豊かな流星の神」と解釈できる。

神武(じんむ)天皇がこのような流星の神の名を持つのは、序文で述べた流星の神・火瓊瓊杵(ホノニニギ)尊の曽孫であることに由来すると考えられる。

 

磐余彦(イワレヒコ)

次に磐余彦(イワレヒコ)尊という別名について解釈すると、「磐余(いわれ)」は天香山(あまのかぐやま)の北東麓にあった地名であり、ここには古代に多くの天皇の都が置かれた。しかし『日本書紀』神武天皇即位前紀己未年(つちのとひつじのとし)三月の条によれば、神武天皇の都は畝傍山(うねびやま)の東南の橿原(かしはら)の地とされており、磐余(いわれ)ではない。

神武(じんむ)天皇は磐余(いわれ)の地に生まれたわけでも都を置いたわけでもないため、磐余彦(イワレヒコ)尊という名を持つ理由は謎とされている。

『日本書紀』神武天皇即位前紀己未年(つちのとひつじのとし)二月の条では地名の磐余(いわれ)(旧仮名遣いで「いはれ」)の由来を、神武天皇が大和へ攻め入った際に、大軍がこの地に「(いは)めり」(満ちた)という事から、あるいは敵である磯城(しき)八十梟帥(やそたける)(多くの勇猛な者達)がこの地に「屯聚居(いはみゐ)たり」(多く集まっていた)という事から名付けられたとする。

しかし、「磐余(いはれ)」と「いはめり/いはみゐたり」では「いは」しか合っておらず、神武天皇(磐余彦(イワレヒコ)尊)と磐余(いわれ)の地を関連付けるために作られた良くある後付けの由来譚と思われる。

 

磐生(いはあ)

「磐余(いはれ)」のより自然な語源説としては「磐生(いはあ)れ(いはれ)」が序文で述べた母音の連続を避ける傾向により変化したものとする説がある(古語の「()る」は「生まれる」の意)。

言語学者の木村紀子(きむらのりこ)も『ヤマトコトバの考古学』(平凡社、二〇〇九年、166~167頁)でこのように解釈しており、磐余彦(イワレヒコ)尊という名を「いわば磐から生まれた磐太郎といったところだろう」としている。しかしこれでは神話的人物の名前の由来としては説明が付いても、地名の磐余(いわれ)の由来としては説明が合わない。

 

磐余(いわれ)の意味

では、「磐余(いわれ)」とは何を意味しているのか。

磐余(いわれ)」は「石村(いわれ)」「石寸(いわれ)」(この「寸」は「村」の略)とも表記するので、つまりは【速の章/熯速日神】で前述した湯津石村(ゆついわむら)であり、「五百箇磐石(いおついわむら)湯津石村(ゆついわむら))=(すばる)」の意と考えられる。

また、「いはれ」は前述した「磐生(いはあ)れ(いはれ)」の変化とする説が妥当と思われるが、加えて本章冒頭で述べたように「星」を「磐」に見立てたものと考えれば「星()れ」となり、【速の章/正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊】で前述した流星が生まれる場所である「(すばる)」の意と考えられる。

つまり「磐余(いわれ)」は漢字表記においても読みにおいても「(すばる)」の意と考えられる。

(すばる)」を意味する「磐余(いわれ)」の地が天香山(あまのかぐやま)の北東麓にあったのは、【櫛の章/櫛真智命】で前述したように天香山(あまのかぐやま)が「天岩戸=(すばる)」と関連の深い山であるからと考えられる。

磐余彦(イワレヒコ)尊については、「ヒコ」は男神の神名末尾のパターンと考えられるので、「(すばる)の男神」と解釈できる。

神武天皇は前述したように流星の神の名(若御毛沼(ワカミケヌ)命、豊御毛沼(トヨミケヌ)命)も持っているので、【速の章/速秋津日命】で前述した「(すばる)の神=流星の神」という考え方が神武(じんむ)天皇の名前においても表れている、ということになる。

 

まとめ

・磐余彦尊(イワレヒコ)……流星の神の曽孫

・神武天皇の別名。序文で述べた流星の神・火瓊瓊杵(ホノニニギ)尊の曽孫。

・他の別名、若御毛沼(ワカミケヌ)命は「若い流星の神」、豊御毛沼(トヨミケヌ)命は「豊かな流星の神」の意。

磐余(いわれ)石村(いわれ)湯津石村(ゆついわむら)(すばる)、いはれ=磐生(いはあ)れ=流星が生まれる場所=(すばる)の意。

【速の章/速秋津日命】で前述した「(すばる)の神=流星の神」という考え方が神武(じんむ)天皇の名前においても表れている。

 

関連ページ

【速の章/熯速日神】……五百箇磐石(いおついわむら)湯津石村(ゆついわむら))=(すばる)

【櫛の章/櫛真智命】……天香山(あまのかぐやま)は「天岩戸近辺から降ってきた山」。

【甕の章/櫛御気野命】……「ミケ」は「(みか)」と同義で流星の意。