活玉依媛
流星の神・大物主神の妻。
大物主神の妻
活玉依媛(イクタマヨリヒメ)は別名、活玉依毘売とも言い、大物主神の妻である。
『古事記』崇神天皇の段によれば、大物主神を祀らせるために河内の美努村から呼ばれた意富多多泥古は、崇神天皇に誰の子かと問われて、大物主大神が陶津耳命の娘、活玉依毘売を妻として生んだ櫛御方命の子、飯肩巣見命の子、建甕槌命の子と答えたとされる。
活玉依毘売は夫がいないまま身籠った。父母が事情を聞くと名も知らぬ男が夜毎訪れるというので、父母は男の素性を知るため糸巻きに巻いた麻糸に針を付け男の衣の裾に刺すよう娘に言った。翌朝、糸は戸の鍵穴から抜け出て美和山の神の社まで続いていたので、男が神であることがわかる。糸巻きには麻糸が三勾(三巻き)残っていたので、その地を美和と名付けたという。
また、『日本書紀』崇神天皇七年八月の条によれば、大物主神を祀らせるために茅渟県の陶邑から呼ばれた大田田根子は、崇神天皇に誰の子かと問われて、父は大物主大神、母は活玉依媛、陶津耳の娘(または奇日方天日方武茅渟祇の娘)と答えたとされる。
各文献における名前
・『古事記』……活玉依毘売
・『日本書紀』……活玉依媛
・『新撰姓氏録』……玉櫛姫
・『先代旧事本紀』……活玉依姫
『新撰姓氏録』や『先代旧事本紀』では【櫛の章/玉櫛媛】で前述した玉櫛媛と同一視されている。
神名解釈
活玉依媛が本章冒頭で述べた「タマ」が付く流星の神の名を持つのは、【櫛の章/倭大物主櫛みか玉命】で前述した流星の神・大物主神の妻であることに由来すると考えられる。
神名の活玉依媛(イクタマヨリヒメ)、活玉依毘売(イクタマヨリビメ)を解釈すると、「タマ」は本章冒頭で述べたように「星」を「玉」に見立てたもの、「ヒメ」は女神の神名末尾のパターンと考えられるので、「生きている星に依り憑く女神」と解釈できる。
【玉の章/活玉命】で前述したように「生きている星」とは、自ら天を飛んでいるように見える流星のことと考えられる。
まとめ
・活玉依媛(イクタマヨリヒメ)……流星の神の妻
・【櫛の章/倭大物主櫛みか玉命】で前述した流星の神・大物主神の妻。
関連ページ
・【櫛の章/玉櫛媛】……『新撰姓氏録』『先代旧事本紀』では同一視されている。
・【玉の章/活玉命】……イクタマ=生きている星=流星。