流星と昴の日本神話
石の章

石凝姥命

五伴緒(いつとものお)諸部(もろとものお)の神の一柱で「(すばる)と流星の神」。神名は「星の密集の女神」「(すばる)の女神」の意。

 

五伴緒(いつとものお)諸部(もろとものお)の神の一柱

石凝姥(イシコリドメ)命(イシコリドメ)は鏡作(かがみつくり)上祖(とおつおや)作鏡連(かがみつくりのむらじ)らの祖などとされる神である。『古事記』において五伴緒(いつとものお)と称される神々の一柱であり、『古語拾遺(こごしゅうい)』において諸部(もろとものお)の神と称される神々の一柱でもある。

石凝姥(イシコリドメ)命は『古事記』『日本書紀』『古語拾遺(こごしゅうい)』『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』において、天岩戸隠れの神話に登場して鏡を作った神である。この鏡は『古事記』では八尺鏡(やたかがみ)、『日本書紀』神代上第七段一書第三では八咫鏡(やたのかがみ)とされる。

また、序文で述べた流星の神・火瓊瓊杵(ホノニニギ)尊と共に天降るので同じく流星の神と考えられる。

つまり石凝姥(イシコリドメ)命は【速の章/補足 天岩戸、天安河の河上の意味】で前述した「天岩戸=(すばる)」の神であり流星の神でもある「(すばる)と流星の神」と考えられる。

 

各文献における名前

・『古事記』……伊斯許理度売(イシコリドメ)

・『日本書紀』……石凝姥(イシコリドメ)石凝戸辺(イシコリトベ)石凝姥(イシコリドメ)

・『古語拾遺(こごしゅうい)』……石凝姥(イシコリドメ)

・『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』……石凝姥(イシコリドメ)

 

「イシコリドメは鏡作り関連の神名」ではない

神名のイシコリドメについては、江戸時代の国学者・本居宣長(もとおりのりなが)は『古事記伝』(一七九八年)において、石凝姥(イシコリドメ)神が二回鏡を()た(鋳造した)話が『古語拾遺(こごしゅうい)』にあることから、イシコリを「()(シキリ)の義ならむか」としている。

坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋(おおのすすむ)校注『日本古典文学大系67 日本書紀 上』(岩波書店、一九六七年)は石凝姥の注釈で「石凝のコリは、木樵(きこり)のコリに同じ。物を打ってけずり取る意。トメは、老女の意」としている。

それでは石工の神の名前のようだが、それについては「もとは石だけを扱ったが、後に金属も扱うようになったのだろう」としている。

国語学者の西宮一民は、西宮一民校注『新潮日本古典集成 古事記』(新潮社、一九七九年)において、イシコリドメを「石を切って鋳型(いがた)を作り溶鉄を流し固まらせて鏡を鋳造(ちゅうぞう)する老女」と解釈している。また「こり」は凝固の意としている。

それなら「石の凝固の老女」となりそうだが、「切って鋳型(いがた)を作り溶鉄を流し」や「鏡を鋳造(ちゅうぞう)する」を補って解釈している。

それぞれ解釈は異なっているが、鏡作り関連の神名として解釈するための苦しいこじつけという点では共通している。つまり、イシコリドメを鏡作り関連の神名として解釈すること自体に無理があると考えられる。

 

神名解釈

石凝姥(イシコリドメ)命は前述したように「(すばる)と流星の神」と考えられるので、この点に関連する神名として解釈すれば、ごく素直に解釈できる。

石凝姥(イシコリドメ)命(イシコリドメ)、石凝戸辺(イシコリトベ)(イシコリトベ)の「イシ」は本章冒頭で述べたように「星」を「石」に見立てたもの、「()る」には「密集する」の意があり、「トメ」「トベ」は女神の神名末尾のパターンと考えられるので、「星の密集の女神」つまりは「(すばる)の女神」と解釈できる。

 

天抜戸(アマノヌカト)

石凝姥(イシコリドメ)命の親(『日本書紀』『古語拾遺(こごしゅうい)』)あるいは子(『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』)とされる天抜戸(アマノヌカト)天糠戸(アマノヌカト))もまた、『日本書紀』『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』において天岩戸隠れの神話に登場して鏡を作った神である。

そして【速の章/饒速日命】で前述した三十二人の防衛(ふせぎまもり)の一柱で天降る神である。

天降る神であるという点から、流星に由来する神である可能性がある。

つまり天抜戸(アマノヌカト)天糠戸(アマノヌカト))もまた「天岩戸=(すばる)」の神であり流星の神でもある「(すばる)と流星の神」と推定できる。

 

「天糠戸はアマノアラト」ではない

『日本古典文学大系67 日本書紀 上』は天糠戸の注釈で次のように記している。

 

糠はヌカとも訓むがアラとも訓む(名義抄その他)。よって天糠戸はアマノアラトと訓む。戸はト甲類toの音、砥もト甲類toの音。従ってアラトは、粗砥の意。粗砥は鏡作に必須の道具である。しかし、糠はヌカとも訓むので、この表記を奈良時代以前すでにアマノヌカトと訓んだ人もあるらしく、天糠戸を、第三の一書では天抜戸とある。

 

鏡作り関連の神名として解釈するために、根拠もなく奈良時代以前の人が読み間違えたことにして、神名の読みを変更してしまうという、これもまた苦しいこじつけである。

 

天抜戸(アマノヌカト)の意味

天抜戸(アマノヌカト)天糠戸(アマノヌカト))は前述したように天岩戸隠れの神話に登場する神であるため、この点に関連する神名として解釈すれば、ごく素直に解釈できる。

【速の章/補足 天岩戸、天安河の河上の意味】で前述したように、天には天井のような層があり、天岩戸はその天井にある開閉する穴(戸・門・窓・隙間)という世界観があったと思われる。

このため、天抜戸(アマノヌカト)天糠戸(アマノヌカト)、アマノヌカト)は「天を抜ける戸」つまりは「天岩戸」の意と解釈できる。

 

まとめ

・石凝姥命(イシコリドメ)……(すばる)と流星の神

・天岩戸隠れの神話に登場するので「天岩戸=(すばる)」の神。

序文で述べた流星の神・火瓊瓊杵(ホノニニギ)尊と共に天降るので同じく流星の神。

・神名は「星の密集の女神」つまり「(すばる)の女神」と解釈できる。

 

関連ページ

【速の章/饒速日命】……三十二人の防衛(ふせぎまもり)について。

【速の章/補足 天岩戸、天安河の河上の意味】……天岩戸=(すばる)