火之戸幡姫
火之戸幡姫とその児の千千姫命は同神。流星の神・天忍穂耳尊の妻。
高皇産霊尊の娘
火之戸幡姫(ホノトハタヒメ)は高皇産霊尊の娘である。
『日本書紀』神代下第九段一書第六によれば、天忍穂根尊(天忍穂耳尊の別名)は、高皇産霊尊の女子(娘)、栲幡千千姫万幡姫命、または高皇産霊尊の児、火之戸幡姫の児、千千姫命を妻としたとされる。
天忍穂耳尊の妻
天忍穂耳尊の妻については次のように様々な異なる神話、別名があり、【玉の章/玉依姫命】で前述した玉依姫命を妻とする神話もそのうちの一つである。
・高木神(高皇産霊尊の別名)の女(娘)、万幡豊秋津師比売命(『古事記』)
・高皇産霊尊の女、栲幡千千姫(『日本書紀』神代下第九段本文)
・思兼神(高皇産霊尊の子)の妹、万幡豊秋津媛命(同段一書第一)
・高皇産霊尊の女、万幡姫(同段一書第二)
・高皇産霊尊の女子(娘)、栲幡千千姫万幡姫命(同段一書第六)
・高皇産霊尊の児、火之戸幡姫の児、千千姫命(同段一書第六)
・高皇産霊尊の女、天万栲幡千幡姫(同段一書第七、第八)
・高皇産霊尊の児、万幡姫の児、玉依姫命(同段一書第七)
・丹舄姫(同段一書第七)
・神皇産霊尊の女、栲幡千幡姫(同段一書第七)
丹舄姫
これらを見ると「丹舄姫」のみ他とは大きく異なっており不自然である。「栲姫」が「木考姫」に近い形にくずして書かれたものを、木→丹、考→舄と誤写したものではないかと思われる。
火之戸幡姫と千千姫命
これら天忍穂耳尊の妻に関する記紀の十種類の神話を分類すると、高皇産霊尊の娘とするのが六種類、孫娘とするのが二種類、それ以外が二種類となっている。つまり高皇産霊尊の娘とするのが元々の神話である可能性が高い。
坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本古典文学大系67 日本書紀 上』(岩波書店、一九六七年)は、栲幡千千姫万幡姫命の注釈で「これは栲幡千千姫の児、万幡姫の意で、千千姫児の児を脱したものであろうか」としている。
しかし、このような複数の神名が連結されている神名は他にも例がある(付録参照)。人名においても『古事記』応神天皇の段に登場する弟日売真若比売命の例がある。
天忍穂耳尊の妻を高皇産霊尊の娘ではなく孫娘とする二種類の神話は、この注釈と同様の誤解により、二つの神名が連結されている神名を親子の神名に改変してしまった神話と考えられる。
夫の天忍穂耳尊もまた正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊という二つの神名が連結されている神名を持っているが、『日本書紀』神代下第九段一書第七においては、勝速日命の児、天大耳尊という親子の神となっている。やはり同様の誤解による改変があったものと考えられる。
つまり火之戸幡姫とその児の千千姫命というのは、このような誤解によって親子の神とされているが、元は同じ神で高皇産霊尊の娘、かつ天忍穂耳尊の妻であり、「火之戸幡姫」と「千千姫命」の二つの神名が連結されている神名を持っていたと考えられる。
火之万幡姫千千姫命
また、『日本古典文学大系67 日本書紀 上』は火之戸幡姫の注釈で「戸幡は、万幡の誤写にもとづくものではなかろうか」としており、これについては妥当な説と考えている。
この説を加味すると「火之万幡姫千千姫命」といった神名であったと考えられる。
なお、『日本書紀』に「萬」ではなく「万」の字が使われているか疑問に思われるかもしれないが、「万」は「萬」を略した新字体ではなく、「萬」と共に古くから使われている。
『日本書紀』巻第二(神代下)の嘉禎二年(一二三六年)に書写された古写本、鴨脚本(嘉禎本)においても「万幡」と「萬幡」の両方の表記が見られる。
各文献における名前
・『古事記』……万幡豊秋津師比売命
・『日本書紀』……栲幡千千姫、万幡豊秋津媛命、万幡姫、栲幡千千姫万幡姫命、火之戸幡姫児千千姫命、天万栲幡千幡姫、万幡姫児玉依姫命、丹舄姫、栲幡千幡姫
・『古語拾遺』……栲幡千千姫命
・『先代旧事本紀』……万幡豊秋津師姫栲幡千千姫命、栲幡千千姫万幡姫命、万幡豊秋津師姫命、栲幡千千姫命
神名解釈
火之戸幡姫(火之万幡姫千千姫命)が本章冒頭で述べた「ホ」が付く流星の神の名を持つのは、【速の章/正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊】で前述した流星の神・天忍穂耳尊の妻であることに由来すると考えられる。
まとめ
・火之戸幡姫(ホノトハタヒメ)……流星の神の妻
・火之戸幡姫とその児の千千姫命は、二つの神名が連結されている神名を親子の神名と誤解して親子の神に改変されたもの。
・つまり元は同じ神で高皇産霊尊の娘、かつ【速の章/正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊】で前述した流星の神・天忍穂耳尊の妻。
関連ページ
・【玉の章/玉依姫命】……天忍穂耳尊の妻。
・【石の章/補足 タケ、トヨの意味】……万幡豊秋津媛命のトヨの意味。