補足 御倉板挙之神、天湯河板挙、鳥取の意味
御倉板挙之神=昴の棚機の神、天湯河板挙=天の川の棚機、鳥取=外つ織(外つ国の織物)。
御倉板挙之神と五百箇御統
御倉板挙之神は『古事記』において伊奘諾尊が天照大神に与えたとされる御頸珠(多くの玉を緒で貫いて環状にした首飾り)の名前である。
【速の章/補足 天照大神と素戔嗚尊の誓約の意味】で天照大神が持つ五百箇御統が昴を意味することを前述したが、この五百箇御統もまた、多くの玉を緒で貫いて環状にした飾りである。天照大神が首にかけている描写もあるので、御倉板挙之神と五百箇御統は同じものと考えられる。
つまり、御倉板挙之神もまた五百箇御統と同じく昴を意味すると考えられる。
「御倉板挙は御倉の棚」ではない
江戸時代の国学者・本居宣長は『古事記伝』(一七九八年)において、御倉板挙之神の名について「こは御祖神の賜ヒし重き御宝として、天照大御神の、御倉に蔵め、その棚の上に安置奉て、崇祭たまひし故の御名なるべし」としている。
しかし【速の章/補足 大日孁貴、月読尊、蛭児の意味】で前述したように、このような単独の名前にしか適用できないような解釈は、こじつけに陥りやすく信憑性に欠ける。
また、天照大神が御倉板挙之神を御倉の棚に安置して祭ったという神話もなく、名前の漢字表記から想像しただけの根拠・裏付けがない解釈である。
このため本書では、これとは異なった解釈を行う。
御倉の意味
まず、御倉板挙之神の「御倉(ミクラ)」は「甕浦(ミカウラ)」が序文で述べた上代の母音連続を避ける傾向により変化したものと考えられる。「甕」は【甕の章】で前述したように「流星」を「甕」に見立てたものと考えられるので、「御倉=甕浦=流星の浦」と解釈できる。
そしてこれは【火の章/補足 天津真浦の意味】で前述した「天津真浦=天の美しい浦」や「天津羽原=流星の浦」などと同様に「天磐船=流星(隕石)」が船出する天の港(浦)である「昴」の意と考えられる。
これは前述したように御倉板挙之神が五百箇御統と同じもので昴と考えられることからも裏付けられる。
板挙の意味
では、御倉板挙之神の「板挙」とは何を意味しているのか。
素戔嗚尊は高天原において逆剥ぎにした天斑駒を服殿へ投げ入れたとされている。
『古事記』においては、この服殿で天照大神が神衣を織らせていたが、共にいた天服織女が驚いて梭(横糸を通す道具)で陰を突いて死んでしまったとされる。
『日本書紀』神代上第七段本文においては、神衣を織っていた天照大神自身が驚いて梭で身を傷つけてしまったとされる。
『日本書紀』同段一書第一においては、神衣を織っていた稚日女尊が驚いて梭で身を傷つけて死んでしまったとされる。
天服織女と稚日女尊は共に天照大神と同じく機を織る女神であり、天服織女は天照大神と共に服殿におり、稚日女尊は大日孁貴(天照大神の別名)に似た神名を持つ。つまり、いずれも天照大神と近しい関係の神と言える。また、同じ死に方をしているのでおそらくは同神と考えられる。
天照大神が身に着ける首飾りの神である御倉板挙之神もまた、同様に天照大神と近しい関係の神と言えるので、天服織女・稚日女尊と同神あるいは同種の神である可能性がある。
このことから、御倉板挙之神の「板挙」は「棚機(機織り機や機織り女のこと)」の意と推定できる。つまり御倉板挙之神は「昴の棚機の神」と解釈できる。
鳥取氏の祖、天湯河板挙
とはいえ、これだけでは「板挙」を「棚機」の意と解釈する根拠としては不十分である。また、単独の名前にしか適用できないような解釈は、こじつけに陥りやすく信憑性に欠けるので、「板挙」が付く他の名前においても同様の解釈が適用できるかを確認する。
天湯河板挙という人が『日本書紀』に登場している。同様の解釈を適用すれば、こちらは「天の川の棚機」と解釈できる。
『日本書紀』垂仁天皇二十三年九、十、十一月の条によれば、垂仁天皇の皇子である誉津別皇子は言葉を話すことができなかったが、大空を渡る白鳥を見て「これは何者か」と言葉を発した。
喜んだ天皇は白鳥を捕らえるよう命じ、天湯河板挙が白鳥を捕らえて献上したところ、誉津別皇子は話すことができるようになった。これにより天湯河板挙は姓を賜り鳥取造となった。また鳥取部、鳥養部、誉津部が定められたと言う。
なお、鳥取県の名は因幡国邑美郡鳥取郷に由来し、鳥取郷の名はこの地に住んだ鳥取部に由来すると言われている。
鳥取の意味
鳥を捕ったから鳥取という名になったという『日本書紀』の話からは、その鳥取氏の祖が「天の川の棚機」という名を持つ理由は理解できない。
しかし、これは良くある後付けの由来譚に過ぎないと思われる。実際、『古事記』では天湯河板挙ではなく山辺之大鶙という人が白鳥を捕らえるが、本牟智和気御子は話すことができるようにならなかったという話になっている。
実際には鳥取氏は、服部氏や錦部氏、倭文氏などと同様に織物関連の氏族であったのではないかと推定できる。それならば鳥取氏の祖が「天の川の棚機」という織物関連の名を持つ理由が理解できる。
服部(はとり)は機織(はたおり)、錦部(にしこり)は錦織(にしきおり)、倭文(しとり)は倭文織(しつおり)が序文で述べた上代の母音連続を避ける傾向により変化したものである。
これと同様に鳥取(ととり)は外つ織(とつおり)が変化したもので、外つ国(畿外や異国)の織物の意と推定できる。つまり、倭文(倭文織)は倭の織物、鳥取(外つ織)は外つ国の織物という対応関係があったと思われる。
鳥取氏と倭文氏
では、鳥取氏が織物関連の氏族であったことを裏付ける根拠はあるだろうか。
『新撰姓氏録』において天湯河板挙と鳥取氏は角凝魂命の子孫として次のように記されている。
・右京神別上 天神 鳥取連……角凝魂命の三世の孫、天湯河桁命の後なり。
・山城国神別 天神 鳥取連……天角己利命の三世の孫、天湯河板挙命の後なり。
・河内国神別 天神 美努連……同神(角凝魂命)の四世の孫、天湯川田奈命の後なり。
・河内国神別 天神 鳥取……同神(角凝魂命)の三世の孫、天湯河桁命の後なり。
・和泉国神別 天神 鳥取……角凝命の三世の孫、天湯河桁命の後なり。
そして倭文氏(委文氏)もまた次のように角凝魂命の子孫として記されている。
・摂津国神別 天神 委文連……角凝魂命の男(息子)、伊佐布魂命の後なり。
・河内国神別 天神 委文宿祢……角凝魂命の後なり。
鳥取氏が倭文氏と同様に織物関連の氏族であったことは、このように鳥取氏と倭文氏が同祖の近縁氏族であることから裏付けられる。
神麻績連、錦部首
また『新撰姓氏録』において右京神別上 天神 鳥取連の直前には神麻績連が記されており、山城国神別 天神 鳥取連の直前には錦部首が記されている。
「麻績」は「麻績み」が序文で述べた上代の母音連続を避ける傾向により変化したもので、麻を績む(細く裂いてつなぎ合わせて糸にする)ことや、それを行う人のことである。「錦部」は前述したように錦織の変化であるため、神麻績連、錦部首は、いずれも織物関連の氏族である。
つまりは織物関連の氏族を神麻績連と鳥取連、錦部首と鳥取連と並べて記したと考えられる。
このように鳥取氏が織物関連の氏族であったことが裏付けられたので、天湯河板挙や御倉板挙之神の「板挙」を「棚機」の意とする解釈もまた裏付けられたと言える。
まとめ
・伊奘諾尊が天照大神に与えた御頸珠の御倉板挙之神は「五百箇御統=昴」と同じもの。
・御倉板挙之神は「昴の棚機の神」。御倉=甕浦=流星の浦=昴、板挙=棚機。
・鳥取氏の祖である天湯河板挙は「天の川の棚機」。このような名を持つのは服部・錦部・倭文と同様に鳥取も織物関連の氏族であったから。鳥取=外つ織(外つ国の織物)。
・これは鳥取氏と倭文氏が共に角凝魂命を祖とする近縁氏族であることから裏付けられる。
関連ページ
・【火の章/補足 天之羅摩船の意味】……『先代旧事本紀』では少彦根命が鳥取連の祖。