補足 御食津神の神名の意味
御食津神の名に付くオオゲ、ウケ、ウカは「大きな器」の意。食物の意ではない。
「神名にミケが付くと御食津神」は誤り
【速の章/速素戔嗚尊】で前述したように、素戔嗚尊は日の神、月の神と共に生まれた星の神、天を追放され天降る神であり、天降る速い星の神=流星の神と考えられる。
そして【甕の章/櫛御気野命】で前述したように素戔嗚尊の別名、櫛御気野命(クシミケノ)の「ミケ」は「ミカ」と同義で、「流星」を「甕」に見立てたものと考えられる。
しかし、江戸時代の国学者・本居宣長は『古事記伝』(一七九八年)において次のように述べ、御毛沼命(神武天皇の兄)、櫛御気野命のミケを「御食」の意と解釈している。
御毛沼ノ命 御名ノ義、御食主なり。出雲ノ国造ノ神賀詞に、熊野大神櫛御気野ノ命とあるも、〔此は須佐之男ノ命を申すなり。〕同意の称名なり。
民俗学者の石塚尊俊も、谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第七巻 山陰』(白水社、一九八五年)の熊野大社の項において次のように述べている(一二〜一三頁)。
「出雲国造神賀詞」には「伊射那伎乃日真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命」とあって、クシミケノすなわち「霊妙なる御食つ神」という意味の神名が明記されている。
このように神名に「ミケ」が付くと根拠もなく「御食」つまり「天皇の食料。神に供える御饌。ミは接頭語」(『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、一九六七年)の意と解釈されたり、御食津神とみなされたりすることがある。このため御食津神とその神名の意味に関しても触れておく。
なお、御食津神は一般的には「食物をつかさどる神。大宜都比売神(おおげつひめのかみ)・保食神(うけもちのかみ)・倉稲魂神(うかのみたまのかみ)・豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)・若宇迦乃売命(わかうかのめのみこと)など」(『日本国語大辞典 第二版』小学館、二〇〇〇~二〇〇二年)と解釈されている。
また、稲魂(稲に宿る霊)や穀霊(穀物に宿る霊)と解釈されることもある。
大宜都比売神
『古事記』によれば、大宜都比売神は鼻・口・尻から食べ物を取り出して速須佐之男命をもてなしたが、速須佐之男命は汚いものを出されたと大宜都比売神を殺してしまう。するとその死体の各所から蚕・稲種・粟・小豆・麦・大豆が生じたという。
保食神
『日本書紀』神代上第五段一書第十一にも似た話がある。葦原中国(地上)にいた保食神は口から飯・魚・獣を出して月夜見尊をもてなしたが、月夜見尊は汚いものを出されたと保食神を殺してしまう。すると死体の各所から牛・馬・粟・蚕・稗・稲・麦・大豆・小豆が生じたという。
豊受大神
『止由気宮儀式帳』(八〇四年成立)によれば、伊勢に鎮座した天照大神が雄略天皇の夢に現れて、一つの所だけに居るのは苦しく食事もままならないので、丹波国の比治の真奈井にいる我が御饌都神の等由気大神(豊受大神)を我が元へ、と神託した。
この神託に従い豊受大神宮(伊勢神宮外宮、三重県伊勢市豊川町279)が創建されたという。
この豊受大神は『古事記』では豊宇気毘売神、登由宇気神の名で登場している。【序文】で述べた流星の神・火瓊瓊杵尊と共に天降る神である。
『丹後国風土記』逸文では豊宇賀能売命という名で登場しており、比治山の頂にある真奈井に天降って水浴びをしている間に衣を隠されて還ることができなくなった天女とされる。豊宇気大神が伊去奈子嶽に天降ったとする逸文もある。
『摂津国風土記』逸文でもトヨウカノメの名で登場している。
「稲魂、穀霊、食物をつかさどる神」ではない
御食津神とされる大宜都比売神や保食神は、その神話からわかるように稲以外の穀物や、蚕、獣、魚なども生み出す神である。蚕は食べることもできるが、養蚕の主目的は絹糸の採取である。
このため御食津神とされる神々を稲魂、穀霊、食物をつかさどる神とする解釈は、その特徴の一部だけを捉えた不十分な解釈と言える。
御食津神の神名
伏見稲荷大社(京都市伏見区深草薮之内町68)などで祀られている倉稲魂命や、廣瀬大社(奈良県北葛城郡河合町川合99)などで祀られている若宇加能売命も御食津神とされている。
このように御食津神とされる主な神々の名前にはオオゲ、ウケ、ウカが付く。
・大宜都比売神(オオゲツヒメ)
・保食神(ウケモチ)
・豊受大神(トヨウケ)
・豊宇気毘売神(トヨウケビメ)(豊受大神の別名)
・豊宇賀能売命(トヨウカノメ)(豊受大神の別名)
・倉稲魂命(ウカノミタマ)
・若宇加能売命(ワカウカノメ)
なお、豊受大神の別名のうち、等由気大神(トユケ)は「トヨウケ」が【序文】で述べた上代の母音連続を避ける傾向により変化したもの、登由宇気神(トユウケ)は「トヨウケ」のヨが【櫛の章/櫛真智命】で前述したようにウ段に変化したものと考えられるので省いている。
「ウケ、ウカは食物の意」ではない
本居宣長は『古事記伝』において次のように述べている。
大宜都比売神 宜は食、〔大食と連きて濁る故に、濁音の宜ノ仮字を用り。是を、キと訓ムは非なり。〕都は例の助辞なり。さて此ノ食を、放ては宇気と云フ、下なる豊宇気毘売ノ神、書紀の保食ノ神など是なり。此は大食と連く故に、宇を省て云フ。〔凡て上に言を置て、連言とき宇を省く例、古言にいと多し。食も、大食御食など云ときこそ気とは云ヘ、さらで只には、必宇気宇迦といふぞ。〕又宇気を転て宇迦とも云。〔こは風を加邪稲を伊那酒を佐加と云と同く、第四ノ音の第一ノ音に転る格なり。〕下なる宇迦之御魂ノ神、書紀神武ノ巻の稲魂女など是なり。如是れば気宇気宇迦みな同ジ言にて、右の神等の御名、いづれも此ノ食の意なり。〔御膳御饌などとも書て、凡て食物のことなり。書紀に倉稲など書れたるは、意を得てのことぞ。〕
つまり御食津神の神名中のケ、ウケ、ウカは、いずれも食物の意と解釈した。
そしてこれは次のように定説となっている。
・倉野憲司・武田祐吉校注『日本古典文学大系1 古事記 祝詞』(岩波書店、一九五八年)
・豊宇気毘売神の注釈(六〇頁)……豊は美称、宇気は食物の意で、食物を掌る女神。伊勢の外宮の祭神である。
・宇迦之御魂神の注釈(八九頁)……宇迦はウケと同じく食の意。書紀には「倉稲魂」をウカノミタマと訓んでいる。食物(稲)の御魂の神。
・山口佳紀・神野志隆光校注/訳『新編日本古典文学全集1 古事記』(小学館、一九九七年)
・豊宇気毘売神の注釈(四一頁)……ウケは食物の意。
・宇迦之御魂神の注釈(七三頁)……ウカ・ウケは食物のこと。ミタマはその霊力をいう。
・坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本古典文学大系67 日本書紀 上』(岩波書店、一九六七年)
・倉稲魂命の注釈(五五六頁)……ウカは食料。後のウケモチノカミのウケはこのウカの転。サカ(酒)→サケ、タカ(竹)→タケの類。この場合のケはケ乙類 kë 。倉稲の倉は食の誤かという。あるいは倉は、納屋に収めるものの意か。ミタマのタマは生命力そのものをいう。従ってウカノミタマは食料の命そのもの。
・小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守校注/訳『新編日本古典文学全集2 日本書紀1』(小学館、一九九四年)
・倉稲魂命の注釈(四二頁)……食物、とくに稲や穀物の神霊。「倉」は稲が倉に収められている状態を示したか。一書第七に「宇介能美拕磨」の訓注がある(五二ページ)。ウカはウケ(食物)の古形。祝詞「大殿祭」の「屋船豊宇気姫命」の注に「是れ稲霊なり。俗の詞に宇賀能美多麻」とある。
・保食神の注釈(五八〜五九頁)……ウケ(ウカの交替形)は立派な食物、モチは「貴」の意。ただし「保食」の文字は、『和名抄』天地部・神霊類にみえる「保ハ猶保持ノゴトシ。宇気ハ食ノ義也。是レ食物ヲ保持スル神ヲ言フ」の意をこめての表記であろう。食物神は「倉稲魂命」とも(四三ページ)。記では大宜都比売という女神。
・上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』(三省堂、一九六七年)
・うかのみたま[稲魂](名)食物、ことに稲の神。「倉稲魂〈宇介能美柂磨〉」(神代紀上)「宇迦之御魂神」(記神代)「屋船宇気姫命 是ハ稲霊也、俗謂宇賀能美多麻」(祝詞大殿祭)「日本紀私記云、稲魂 宇介乃美太万、俗云宇加乃美太万」(和名抄)「稲魂 ウカノミタマ」(名義抄) 【考】第一例「倉稲魂」の「倉」の字について、「食」の誤字説もあるが、稲を倉に収めて食料となす意で「倉」の字をそえたとみるべきか。稲の神ウカノミタマは豊宇気姫の別名とされている女神である。神武前紀に、諸神を祭ったとき祭祀に用いた食料は「厳稲魂女」と名づけられている。ウカはウケの交替形であろうが、ウケにもウケモチノ神という例しかない。釈日本紀に、食物を保持する意でウケというと説くが、もとは神より穀霊を受容する意味から出たものではなかったか。→次項・うけ[食]
・うけ[食](名)食物。「保食神〈宇気母知能加微〉」(神代紀上)「日本紀私記云、保食神 宇介毛知乃加美、師説、保猶二保持一也、宇気者食之義也、言フ下是保二持スル食物ヲ一之神ヲ上也」(和名抄)→うかのみたま
・中村幸彦・岡見正雄・阪倉篤義編『角川古語大辞典』(角川書店、一九八二~一九九九年)
・うかのめ【稲魂女】名 「うか」は「うけ」の交替形。「うかのみたま」に同じ。「稲魂女此を于伽能迷(うかのめ)と云う」〔神武前紀〕
・うけ【食】名 食物。穀物。「保食神此を宇気(うけ)母知能加微と云ふ」〔神代紀上〕「保食神〈宇介毛知乃神〉」〔日本紀私記乙本〕
しかし、これらの解釈はいずれもウケ、ウカの用例として保食神や倉稲魂命などの神名を挙げるばかりで、食物の意で使われている実例などは示しておらず、つまりウケ、ウカが食物の意であるという根拠を示すことができていない。このため、これらの解釈に信憑性は無い。
オオゲ、ウケ、ウカの意味
では、御食津神の名に付くオオゲ、ウケ、ウカとは何を意味しているのか。
「祖母」には「そぼ」という読みの他に「おおば」(歴史的仮名遣で「おほば」)、「おば」、「うば」という読みもある。『角川古語大辞典』においても次のように記されている。
・おほば……「おほはは」の転。祖母(ソボ)。
・おば……「おほば」の転。祖母(ソボ)。おばあさん。
・うば……祖母。「おほば」の略の「おば」の転。
このように「おほはは(大母)」→「おほば」→「おば」→「うば」と変化したものと考えられており、つまり「大」を意味する「おお(おほ)」は「お」や「う」に変化することがある。
「お」が「大」を意味している別の例としては古語の「おみな」があり、これは「老婆。年とった女」(『時代別国語大辞典 上代編』)を意味する。これに対して古語の「をみな」は「若い女。美しい娘」(『時代別国語大辞典 上代編』)を意味する。
小野臣や小治田臣のように「を」は「小」を意味するので、つまり「おみな」と「をみな」は年齢の高低を「お(大)」と「を(小)」の違いで区別している。
仁賢天皇と顕宗天皇の兄弟の名も同様に、兄の仁賢天皇が「億計(おけ)」、弟の顕宗天皇が「弘計(をけ)」となっている。
「う」が「大」を意味している別の例としては古語の「大人(うし)」があり、これは「長上の人を尊敬していう語」(『角川古語大辞典』)で、神名末尾のパターンの一つでもある。
他に「海」の語源を「大水(うみ)」とする説もある(新井白石『東雅』一七一七年、松岡静雄『日本古語大辞典』一九二九年など)。
また、【甕の章/櫛御気野命】で前述したように「か」「け」は共に「器」を意味する。
御食津神の名に付くオオゲ、ウケ、ウカは、「大」を意味する「おお」「う」と、「器」を意味する「か」「け」の組み合わせであるため、いずれも「大きな器」と解釈できる。
御食津神の神名の意味
前述した御食津神それぞれの神名を解釈すると、
・「オオゲ」「ウケ」「ウカ」は「大きな器」の意。
・「ツ」は古語で「〜の」を意味する連体助詞。
・「ヒメ」「メ」は女神の神名末尾のパターン。
・「モチ」「ミタマ」は神名末尾のパターン。
・「豊」は古語で「ゆたかなこと」(『時代別国語大辞典 上代編』)の意。
これにより次のように解釈できる。
・大宜都比売神(オオゲツヒメ)は「大きな器の女神」
・保食神(ウケモチ)は「大きな器の神」
・豊受大神(トヨウケ)は「豊かで大きな器の大いなる神」
・豊宇気毘売神(トヨウケビメ)は「豊かで大きな器の女神」
・豊宇賀能売命(トヨウカノメ)も「豊かで大きな器の女神」
・倉稲魂命(ウカノミタマ)は「大きな器の神」
・若宇加能売命(ワカウカノメ)は「若い大きな器の女神」
大きな器の意味
では、この「大きな器」とは何を意味しているのか。
おそらく古代の日本人は、海の水がどこかに流出して減ったりはしないことから、海や大地は一つの「大きな器」に入っている、と考えたのではないかと思われる。
この「大きな器」には大地も海も入っているため、「大きな器の神」である御食津神は、自身の体内、つまり「大きな器」の中から穀物、蚕、獣、魚といった大地や海の産物を生み出すのではないかと思われる。
前述したように豊受大神は日の神・天照大神に、保食神は月の神・月読尊に、大宜都比売神は流星の神・素戔嗚尊に食事を用意する。これは、この「大きな器」に入っている御食が、その器を天から見下ろすことができる日・月・星の神に捧げられる神話と考えられる。
まとめ
・「祖母」の読みからわかるように「おお」「お」「う」はいずれも「大」を意味する。
・【甕の章/櫛御気野命】で前述したように「か」「け」は共に「器」の意。
・つまり御食津神の名に付くオオゲ、ウケ、ウカは、いずれも「大きな器」の意。
・大地や海は一つの「大きな器」に入っていると考えられた。このため「大きな器の神」である御食津神は、自身の体内から穀物、蚕、獣、魚といった大地や海の産物を生み出す。
関連ページ
・【甕の章/補足 オカミとミツハの意味】……「オカミ」は「大きな器の神」の意。
・【火の章/天忍穂耳尊】……「オシ」は古語の「大し(大きい)」の意。