補足 御食津神の神名の意味
御食津神の名に付くオオゲ、ウケ、ウカは「大きな器」の意。食物の意ではない。
「神名にミケが付くと御食津神」ではない
【甕の章/櫛御気野命】で前述したように、素戔嗚尊の別名・櫛御気野命の神名中の「ミケ」は「ミカ」と同義で「流星」を「甕」に見立てたものと考えられる。
しかし、神名に「ミケ」が付くと御食津神と解釈されてしまうことが多い。このため御食津神の神名の意味に関しても触れておく。
御食津神(御饌都神)とは大宜都比売神や保食神、豊受大神などの食物を司るとされる神々のことである。
大宜都比売神
『古事記』によれば、大宜都比売神は鼻・口・尻から食べ物を取り出して速須佐之男命をもてなしたが、速須佐之男命は汚いものを出されたと大宜都比売神を殺してしまう。するとその死体の各所から蚕・稲種・粟・小豆・麦・大豆が生じたという。
保食神
『日本書紀』神代上第五段一書第十一にも似た話がある。葦原中国にいた保食神は口から飯・魚・獣を出して月夜見尊をもてなしたが、月夜見尊は汚いものを出されたと保食神を殺してしまう。するとその死体の各所から牛・馬・粟・蚕・稗・稲・麦・大豆・小豆が生じたという。
豊受大神
『止由気宮儀式帳』(八〇四年成立)によれば、伊勢に鎮座した天照大神が雄略天皇の夢に現れて、一つの所だけに居るのは苦しく食事もままならないので、丹波国の比治の真奈井にいる我が御饌都神の等由気大神(豊受大神)を我が元へ、と神託した。
そしてこの神託に従い豊受大神宮(伊勢神宮外宮、三重県伊勢市豊川町279)が創建されたという。
この豊受大神は『古事記』では豊宇気毘売神、登由宇気神の名で登場している。序文で述べた流星の神・火瓊瓊杵尊と共に天降る神である。
『丹後国風土記』逸文では豊宇賀能売命という名で登場しており、比治山の頂にある真奈井に天降って水浴びをしている間に衣を隠されて還ることができなくなった天女とされる。豊宇気大神が伊去奈子嶽に天降ったとする逸文もある。
『摂津国風土記』逸文でもトヨウカノメの名で登場している。
御食津神の神名
伏見稲荷大社(京都市伏見区深草薮之内町68)などで祀られている倉稲魂命や、廣瀬大社(奈良県北葛城郡河合町川合99)などで祀られている若宇加能売命も御食津神とされている。
このように御食津神とされる主な神々の名前にはオオゲ、ウケ、ウカがつく。
・大宜都比売神(オオゲツヒメ)
・保食神(ウケモチ)
・豊受大神(トヨウケ)
・豊宇気毘売神(トヨウケビメ)(豊受大神の別名)
・豊宇賀能売命(トヨウカノメ)(豊受大神の別名)
・倉稲魂命(ウカノミタマ)
・若宇加能売命(ワカウカノメ)
なお、豊受大神の別名のうち、等由気大神(トユケ)は「トヨウケ」が序文で述べた母音の連続を避ける傾向により変化したもの、登由宇気神(トユウケ)は「トヨウケ」のヨが【櫛の章/櫛真智命】で前述したようにウ段に変化したものと考えられるので省いている。
「ケ、ウケ、ウカは食物の意」ではない
これらの神名中のケは古語の「け(食)」つまり「食物」(『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、一九六七年)の意と解釈される事が多い。また、ウケ、ウカも食物の意と解釈されることがある。
江戸時代の国学者・本居宣長は『古事記伝』(一七九八年)において、大宜都比売神の「宜は食」「気宇気宇迦みな同ジ言」つまり御食津神の神名のケ、ウケ、ウカは皆、食物の意としている。
坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本古典文学大系67 日本書紀 上』(岩波書店、一九六七年)は倉稲魂命の注釈で「ウカは食料。後のウケモチノカミのウケはこのウカの転」としている。
大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典』(岩波書店、一九七四年)も「ウカはウケの古形で、食物の意」、「うけ」は「《ウカの転》くいもの。食物」としている。
上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』(三省堂、一九六七年)や、中村幸彦・岡見正雄・阪倉篤義編『角川古語大辞典』(角川書店、一九八二~一九九九年)も、「うか」は「うけ」の交替形、「うけ」は「食物」の意としている。
しかし、いずれも保食神や倉稲魂命などの神名を例として挙げるばかりで、ウケ、ウカが食物の意で使われている実例などは示していない。つまり食物の意であるという根拠を示すことができていないので、これらの解釈に信憑性は無い。
オオゲ、ウケ、ウカの意味
では、御食津神の名に付くオオゲ、ウケ、ウカとは何を意味しているのか。
「祖母」にはソボという読みの他にオオバ、オバ、ウバという読みもある。これらはオオハハ(大母)の変化と考えられており、つまり「オオ(大)」は「オ」や「ウ」と変化することがある。
「オ」が「大」を示している別の例としては古語の「おみな」があり、これは「老婆。年とった女」(『時代別国語大辞典 上代編』)を意味する。これに対して古語の「をみな」は「若い女。美しい娘」(『時代別国語大辞典 上代編』)を意味する。
つまり、長幼を「お(大)」と「を(小)」の違いで区別している。
仁賢天皇と顕宗天皇の兄弟の名も同様に、兄の仁賢天皇が「億計(おけ)」、弟の顕宗天皇が「弘計(をけ)」となっている。
「ウ」が「大」を示している別の例としては古語の「大人(うし)」があり、これは「長上の人を尊敬していう語」(『角川古語大辞典』)で、神名末尾のパターンの一つでもある。
他に「海」の語源を「大水(うみ)」とする説もある(新井白石編『東雅』一七一七年、松岡静雄編『日本古語大辞典』一九二九年など)。
また、【甕の章/櫛御気野命】で前述したように「カ」「ケ」は共に「器」を意味する。
御食津神の名に付くオオゲ、ウケ、ウカは、「大」を意味するオオ、ウと、「器」を意味するカ、ケの組み合わせであるため、いずれも「大きな器」と解釈できる。
そして「トヨ」は古語で「ゆたかであるさま」(『角川古語大辞典』)の意、「ミタマ」「モチ」は神名末尾のパターン、「メ」「ヒメ」は女神の神名末尾のパターンと考えられるので、各神名は次のように解釈できる。
・大宜都比売神(オオゲツヒメ)は「大きな器の女神」
・保食神(ウケモチ)は「大きな器の神」
・豊受大神(トヨウケ)は「豊かで大きな器の大いなる神」
・豊宇気毘売神(トヨウケビメ)は「豊かで大きな器の女神」
・豊宇賀能売命(トヨウカノメ)も「豊かで大きな器の女神」
・倉稲魂命(ウカノミタマ)は「大きな器の神」
・若宇加能売命(ワカウカノメ)は「若い大きな器の女神」
大きな器の意味
では、この「大きな器」とは何を意味しているのか。
おそらく古代の日本人は、海の水がどこかに流出して減ったりはしないことから、海や大地は一つの「大きな器」に入っている、と考えたのではないかと思われる。
この「大きな器」には大地も海も入っているため、「大きな器の神」である御食津神は、自身の体内、つまり「大きな器」の中から穀物、蚕、獣、魚といった大地や海の産物を生み出すのではないかと思われる。
豊受大神は日の神・天照大神に、保食神は月の神・月読尊に、大宜都比売神は星の神・素戔嗚尊に食事を用意する。これは、この「大きな器」に入っている御食(神への供物)が、その器を天から見下ろすことができる日・月・星の神に捧げられる神話と考えられる。
まとめ
・「祖母」の読みからわかるように「オオ(大)」は「オ」や「ウ」と変化することがある。
・【甕の章/櫛御気野命】で前述したように「カ」「ケ」は共に「器」の意。
・つまり御食津神の名に付くオオゲ、ウケ、ウカは、いずれも「大きな器」の意。
・大地や海は一つの「大きな器」に入っていると考えられた。このため「大きな器の神」である御食津神は、自身の体内から穀物、蚕、獣、魚といった大地や海の産物を生み出す。
関連ページ
・【甕の章/補足 オカミとミツハの意味】……オカミは「大きな器の神」の意。
・【火の章/天忍穂耳尊】……「オシ」は古語の「大し(大きい)」の意。
・【石の章/補足 タケ、トヨの意味】……豊受大神のトヨの意味。